丹波 高見城



ファイルNo3730


              山頂主郭              

@ たかみじょう 
  別名 佐野城 高見城山 高見山城 

A住所:丹波市柏原町東鴨野
    旧:氷上郡柏原町

B目標地点:丹波悠遊の里 高見城山
C形式:山城  D比高:360m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・石積み?・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期・戦国期/仁木氏・赤井氏
H満足度: 凸△☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  40分

J撮影・訪問時期:2021年04月

  

道案内 ←登城口    ←城山

舞鶴若狭自動車道の黒井インタを下りて国道175号線へ左折します。約6Km先の坂の信号で斜め右の国道175号線の新道を進みます。約2.4km先の城山トンネルを通ります。トンネルから800m先が穂継の信号、約800m先の橋の先で左折し県道291号線に入ります。<左折したすぐの右手は穂壺城です。> 約3.6km先が新井小北の信号で左折し県道290号線に入ります。約300m先を右折し再び県道291号線に入ります。約600m先の十字路を右折した先が悠遊の里です。 右折し約400m先がY字分岐で左手を進みます。約100m先を右折し約200m先右手が第一駐車場です。この先は施設駐車場ですので、車の場合はここで停めて奥に進みます。後は標識に従い高見城山を目指します。

訪城備忘録

高見城山の山頂を主郭として尾根伝いに郭群が分散している感じで、黒井城の城塞群と感じは似てますね。悠遊の里から登ります。標識がありますから迷いはしないと思いますが、登り始めてすぐの標識がもしかしたら見にくいのと最初の尾根の標識を道が二股ですのでここだけ少し注意ください。 とにかく登山道を登るのみです。正直きつかった(笑) 登城道途中、小郭のような箇所があります。また、麓からですと左に90度曲がり登る地点で反対側の谷に下りると中腹北東の郭群に行けます。(中腹北西の郭群はここからでは危険でいけません) 亀井戸と標識がありところで主要部下です。この上の左手にしっかりとした段郭が残ります。最後、右手に登って行くと山頂下の北の郭です。この城で一番広いかもと思われる郭です。その上が山頂です。そう広くはない山頂部ですが真ん中に方堀切のような窪みで南北に分かれています。山頂部に「高見城山」の城址碑があります。ここから360°の眺望がここの見所でしょうかね(笑) 主郭から南方向に下りると斜面に石積み痕跡のような石があります。石積みかは?です。尾根に下りて南尾根を進みます。一騎掛けのような細尾根の箇所もあります。 途中尾根道横に単郭のような郭があり、低い土塁があります。さらに進み、赤い鉄塔のところが中の台城と呼ばれる南郭群のようです。西側へ延びた尾根に郭と思われる削平地があります。 戻り、麓に向かって下ります。途中、登城道が90°曲がる所で谷側に下りて、そのまま行くと中腹の北東郭群に至ります。最初、広い削平地があり、その背後を登ると小さな堀切状があります。その尾根を先端側へ削平地が続きます。先端は広い郭になっていました。北東郭群から横移動で北西郭群へ行こうとしたのですが巨大な垂直の岩の斜面が前を塞ぐため危険だったんであきらめました。この城は遺構的にはやや乏しいですが、達成感はある城跡ですね。^^;

城址碑
歴史

嘉暦二年(1327年)、丹波守護の仁木頼章が築いたとされます。戦国期に入り、丹波に勢力を持った赤井氏の城であったようです。赤井家清は氷上郡をほぼ掌握していたものの、家清は弘治元年(1555年)、合戦の古傷で若くして死去し、子の忠家が当主となり、家清の弟の赤井(荻野)直正<「丹波の赤鬼」と呼ばれた武人>が忠家を補佐しました。天正六年(1578年)、直正が死去し、天正七年(1579年)織田勢の明智光秀に黒井城を落とされて赤井氏は没落します。同年、高見城も落城したと考えられます。

中腹遺構堀切?
登城道中腹の眺望
  
登城口(丹波悠遊の森)
尾根に登ったところ
頂上まで600m標識       標識そばの郭?
頂上まで400m近くの郭状           亀井戸
亀井戸そばの郭状         段郭
北の郭
主郭(山頂)
主郭(山頂
主郭(山頂からの眺望
主郭(山頂からの眺望
主郭(山頂からの眺望
主郭下石積み??
 
南尾根郭の土塁     南尾根の郭
尾根の一騎駆け      南郭群(中の台の城)
南郭(中の台の城)から主郭を望む
 ←郭群の箇所  ←侵入箇所
中腹北東郭群下
中腹北東郭群下
中腹北東郭群堀切? 中腹北東郭群
中腹北東郭群     中腹北東郭群虎口?
中腹北東郭群先端郭
中腹北東郭群先端郭からの眺望
中腹の北東郭群から北西郭群の間の岩壁

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