備前/ | 天神山城 |
ファイルNo2966 |
@ てんじんやまじょう |
道案内 ←和気の森からの登り口 ←天石門別神社登り口 ←侍屋敷からの登城口 ←城跡 |
|||
山陽自動車道和気インタを下り、和気インタを信号を左折し国道374号線に入ります。約3.2km先で山陽本線を越え、金剛大橋を越えます。国道を吉井川沿いを進みます。金剛大橋から約2kmで右折し県道414号線に入ります。約4km先で左折します。道なりに約2km進んで左折します。約2.5km先が「和気美しい森」です。 ここの駐車場から西方向に進むと天神山太鼓の丸城を経由して天神山本城に至ります。 (または、国道374号線かた県道414号線に右折した所からさらに国道を約7km先右手が天石門別神社でこの裏手からも登れます。 さらに神社から500mほど南にもうひとつ登り口(四十曲登山道)があり、ここは侍屋敷の跡があり、石垣が残っています。) |
|||
訪城備忘録 | |||
和気美しい森から約20分で太鼓の丸です。そこから斜面を比高で150mほど下りるんかな。 石門とか標識がある斜面を下ります。鞍部まで下りてそこからまた登りになります。最初の堀切の所から天神山本城になります。典型的な連郭式の山城です。堀切、竪堀はさほど多くなく、郭は大きく、切岸が高いと言う印象です。二の丸から桜の馬場・大手門、三の丸にかけて斜面に規模の大きな石垣が残っています。 桜の馬場付近から北側斜面に下りて行くと今も水が湧いている百貫井戸が残っています。途中、木には標識がくくりつけてありますが、道らしい道はなかったです。そこから再度二の丸に向けて斜面を登りましたが、所々に石垣の残存がありました。 規模の大きな浦上氏の後期本城でした。 2016年侍屋敷のみ寄ってきました。国道の登城口からすこし登ると旧片上鉄道の線路があったところが現在はサイクリング道になっていて、そこに侍屋敷の入口があります。すぐに斜面に沿って石垣が登り石垣のようにあり、さらに上へ登ると、右手上に下の段、中の段、上の段、左手上にぐるみの段があり、これが侍屋敷との事です。上の段下の石垣が一番規模が大きく残ってました。 なお、入口からすぐに始まる登り石垣のような石垣は猪垣にも見えるんで、いつの時代かな?という感じです。 2022年2月に再訪しました。今回も和気美しい森から入り、太鼓の丸経由で三の丸まで尾根を縦走しました。以前に比べ、季節もあるんでしょうけど、眺望などが見やすかったですが、百貫井戸へは道が崩落していたりで到達はできませんでした。 |
|||
|
前期天神山城である太鼓の丸城に享禄五年(1532年)、浦上宗景は三石城から移ります。その後に西の峰に新城を天文二年(1533年)頃から築城を開始し、順次拡張していき、天文十二年(1543年)頃に完成したようです。宗景は天文五年(1536年)に宇喜多八郎(のちの直家)を家臣とします。元亀二年(1571年)、宗景は織田信長と同盟しますが、天正二年(1574年)、宇喜多直家は離反し毛利につきました。 翌年、宇喜多直家は天神山城を攻めました。天正五年(1577年)、浦上宗景は城を棄てて播磨に逃れたようで、天神山城は落城、そのまま廃城になったようです。 <落城時期は、天正五年(1577年)より直家が攻めた天正三年(1575年)の方が最近は有力との事です。> |