道案内 ←城跡 ←徒歩登り口 ←林道ルート |
山陽自動車道備前インタで下り、国道2号線を兵庫方面に戻ります。約2.5km先で左手方向に下ります。下りたら右折し県道96号線に入ります。約400m先の関川の信号で右折します。 約200m先左手が登城口です。約900m先がJR三石駅です。 (林道ルートは私は行ってませんが深谷の滝に向かう林道に入り、滝を入口を越えたところに登城口があるようです。)
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訪城備忘録 |
地元の方にご案内いただき訪城しました。 新快速で滋賀から行きましたが、新幹線使わなくても行けるんやって実感しました。(笑) JR駅から西側の方へ進むと登城口の看板があります。尾根筋を登って行くと、第一見張り所、第二見張り所を越えて行き、大手門下に到達します。大手門の両サイドは石垣に固められており、なかなか見応えがあります。大手門の内側は枡型に進む大手郭となっており、周囲は石垣で出来ていました。さらに登ると三の丸(郭)、二の丸(郭)、本丸(主郭)と進みます。二の丸(郭)、本丸(主郭)には大石が至る所に散乱しており、本丸(主郭)には基壇の石垣も残ります。帰りは三の丸下方向に下りて行くともうひとつの規模の大きな石垣が残ります。少し脇をそれると千貫井戸と呼ばれる井戸が残ります。時間の都合で鶯丸方面に行かなかったので、本丸下大堀切、鶯丸北側の堀切などが見られていないのが、少し残念でした。
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第二見張所城址碑
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伝承になりますが、鎌倉期末期の元弘三年(1333年)に地頭の伊東大和二郎宣祐が築城したとされたと太平記に書かれているそうです。貞治三年(1365年・正平二十年)に浦上掃部助宗隆が備前守護代として居城としました。その後長く浦上氏支配の城として続きますが、戦国期に入り、応仁元年(1467年)、浦上則宗は守護代に復帰した。浦上村宗は主家の赤松義村と対立し、永正十六年(1519年)、三石城は赤松義村に包囲されますが、村宗は三石城に籠城し、赤松勢を敗走させました。村宗の嫡子の政宗は室山城を本城としましたが、次男の宗景と不和となり、宗景は天文二十三年(1554年)に天神山城に移り、政宗が永禄七年(1567年)に竜野城主赤松政秀に殺害された事により、播磨西部も宗景の勢力下となり、存在価値が薄らいだ三石城は廃城になったようです。
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