駿河/ 足柄城



ファイルNo2055


                          主郭  

@ あしがらじょう 
  別名 

A住所:静岡県駿東郡小山町竹之下〜南足柄市矢倉沢
B目標地点:足柄峠
C形式:山城  D比高:駐車場から15m
E現況:山林・公園

F遺構等:郭・堀切・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/北条氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  足柄峠駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2009年04月

  

道案内 

<静岡県側から>東名高速道御殿場インタを下り、国道138号線を国道246号線方面に進みます。2.8km先の市役所北の信号を右折し県道78号線に入ります。10km先の足柄駅前の信号で県道78号線はU字カーブに進みます。6.5km先が足柄峠です。 <神奈川県側から>東名高速道大井松田インタを下り、県道78号線側出口にでます。23km先が足柄峠です。(南足柄市役所そばの竜福寺の信号から15km先です。) 

訪城コメント

足柄峠の頂点にある城です。ここからの富士山も綺麗でしょうけど、残念ながら当日は雲に隠れていました。神奈川県側の眺望もすばらしく、足柄街道の押さえの城です。主郭から西側へ連郭式で郭が連なり、各郭間を堀切で隔てています。見晴らしはいい城ですが、遺構としては単純かな。神奈川県側から来ると足柄峠の手前の足柄万葉公園のところに通り尾砦があり、ここから尾根筋を歩いていくと「古楢尾砦」、さらに尾根を進むと「阿弥陀尾砦」、21世紀の森側に浜居場城と足柄城の支城群があります。

城址碑
歴史

天文五年(1536年)頃に北条氏綱が築城したとされましが定かでは無いようです。この頃、今川氏輝が死去し、その後に花倉の乱が起こっている事で相駿の関係が悪化したことによる備えと伝わります。天文二十四年(1555年)には氏綱によって改修された事が古文書にあるようです。永禄十一年(1568年)には武田信玄の駿河侵攻で甲相駿同盟が破棄された後、元亀二年(1571年)には深沢城が武田氏の攻撃で落ちたため、この頃までに大改修されたようです。天正十五年(1587年)には北条氏光により再度大改修がなされますが、天正十八年(1590年)の小田原の役の際には氏康の六男の北条氏忠を城番としましたが、山中城が落城すると氏忠は小田原城に退却し、足柄城は井伊直政の攻撃に半日で落城したとされます。

主郭と二の郭との堀切                      二の郭   
二の郭と三の郭との堀切
五の郭西側の郭と堀切
通り尾砦と足柄関所  
通り尾砦と説明板                     足柄関所  

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