駿河/ 深沢城



ファイルNo1427

         西側の三日月堀

@ ふかざわじょう 
  別名 

A住所:御殿場市深沢 
B目標地点: 
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林・水田 

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁・碑・説明板 
G時代/人物:戦国期/今川氏・後北条氏・武田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  説明板から8分

J撮影・訪問時期:2006年04月

  
南東の馬出郭と三日月堀

【道案内】  

東名高速道御殿場インタを下り、国道138号線を国道246号線方面に進みます。2.5Km先の市役所北の信号で右折し県道78号線に入ります。3Km先、城入口のバス停前で斜め左に入ります。500m先の右手に城址碑と説明板があります。ここから説明板を前にして右手奥方向が主郭方面ですが、説明板の左手、道路を挟んだ向こう側の下に一番明瞭な三日月堀が見られます。



【訪城備忘録】

主郭・二の郭は水田となっており城郭跡という感じがしませんが、その手前の堀、三箇所の馬出と三日月堀は見事に残っていました。訪城した日はどしゃぶりの雨で、空堀をくまなく歩いたりできなかったのが残念でした。また、県道からの分岐点より200mほど入った道の左手から抜川までの間は家老屋敷と呼ばれ土塁が70mほど残っているようですが見逃しました。郭のほとんどが水田になっていますが、空堀はほぼ完存しているため、武田氏の築城縄張りが見事な形で残っていると言えます。

【歴史】

大永・享禄または天文年間の始めに今川氏の手で築城されたとされます。天文年間(1532〜54年)に後北条氏の支配となり、北条縄成が在城しました。元亀元年(1570年)に武田氏が攻め、元亀二年(1571年)に開城し、武田氏の城となりました。後北条氏は奪還を試みますが攻略できず、天正十年(1582年)の武田氏滅亡に際し、武田氏の守将の駒井右京之進は城を焼いて退去しました。天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの際、徳川家康は後北条氏への押さえとして三宅惣左衛門をこの城に入れました。その後廃城になったとされます。

現地案内板より

  
南東の馬出の土橋と堀
  
主郭
  

近くの城・関連の城:

          

城址碑           二の郭