相模 | 住吉城 |
ファイルNo2539 |
@ すみよしじょう |
道案内 | |||
横浜横須賀道路の逗子インタを下り、県道311号線へ向かいます。 インタから約2.2km先の料金所を出て南郷トンネル入口の信号を直進し、県道311号線に入ります。約2km先、長柄の信号で斜め右へ国道134号線に入ります。約4.8km先の飯島隧道を越えた右手に材木座の駐車場があります。(あるいはこの駐車場の裏手の道に100円パーキングがあります。) 材木座の駐車場の裏手の道を約150m飯島隧道側に戻ります。国道134号線の高架の下をくぐると小坪海岸トンネルでそ手前右手の道に入ります。約200m先の左手に「正覚寺」の看板があり、石段を上ると正覚寺です。本堂の右手を廻ると斜面の墓地の真ん中に石段があり、これを登りきると住吉神社です。主郭はこれの右手上であるようですが、民有地で入れません。 正覚寺の石段を登らず、左手の坂を登っていくと住吉隧道に至ります。 |
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訪城備忘録 | |||
2010年に探したんですが到達できなかった城跡でした。城跡の主郭は個人所有ですので、入れません。その下の住吉神社のところが唯一城らしいところです。 小さな社の横には素掘りの隧道がありますが、真っ暗で途中でいけなくなってます。隧道の横には岩盤を彫りこんだ水源がありました。今も水が溜まってます。麓の正覚寺前の小道のフェンス沿いに新しめの説明板が設置してありました。ここから主郭方面が見上げられます。 少し離れたところに住吉隧道という小さな隧道があって反対側に抜けられます。ここは今も現役やな。 麓の海岸沿いから江の島、遠くに富士山が見えました。住吉城は水軍基地でもあったので、往時はこの海岸に軍船(小早船)が浮かんでたんでしょうかね。 |
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築城時期は不明ですが、鎌倉時代には何らなの城塞が築かれたと考えられるようです。三浦道寸が明応三年(1494年)に相模まで進出し岡崎城を拠点としましたが、北条早雲が小田原城の大森氏を倒して小田原城を拠点とした明応四年(1495年)以降で、住吉城は北条氏の拠点となっていたようですが、永正七年(1510年)に三浦道寸が攻略し、小田原城に迫りました。永正九年(1512年)、体勢を立て直した北条早雲に攻められ岡崎城(平塚市)が落城し、三浦道寸は住吉城に逃れて籠城しましたが、翌年、ここも北条氏に攻められ落城し、道寸は新井城に逃れ、弟の道香は延命寺で自刀しました。新井城(三浦市)も永正十二年(1516年)に落城、三浦氏は滅亡しました。 |
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