相模 新井城



ファイルNo2147

5月の最終日曜日には道寸祭として笠懸が披露される

         堀と土塁    

@ あらいじょう 
  別名 小網代城 

A住所:三浦市小網代
B目標地点:東京大学油壷研究所
C形式:丘城  D比高:50m 
E現況:山林・公共施設

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁・説明板
G時代/人物:鎌倉期/三浦氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道沿いから10分

J撮影・訪問時期:2009年05月

  

道案内 

三浦縦貫道路の林インタから国道134号線に入ります。6km先で京急三崎口駅を越えます。3.8km先油つぼ入口の信号で右折します。2.8km先が先端が(旧)油壷マリンパークで、この手前200m左側に海岸へ降りる小道があります。ここを歩くと途中右側に城跡説明板があって、この裏手一帯が城跡です。
 
当地で有名であった「油壷マリンパーク」は2021年9月で閉館です。
訪城備忘録

訪城当日、道寸祭りをやってました。三浦道寸は、三浦氏の首領で、北条早雲と戦い、3年間、新井城に籠城後敗れました。この祭りは荒井浜の海岸で行われる笠懸。流鏑馬と同じですが、流鏑馬は神事であり、一方方向のみで弓矢で的を射るもので、笠懸はもっと実践的であり、左右双方から2度行い的を射るという事のようです。近くで見るとけっこう馬が速い。馬上の射手はなかなかに凛々しい。

さて、城跡ですが、遺構の残ってる南半分の大半が大学の施設のため通常は立ち入れませんが、祭り当日で開放されていました。おかげで、虎口土塁などを見ることができました。北半分はマリンパークで消滅しているようですが、その先を下りていくと、突堤に三浦道寸の墓があります。

説明板
歴史

宝治の戦いで直系の三浦氏は滅びましたが、そのときに執権北条時頼に味方した三浦一族の佐原盛時が三浦介を継承し新井城を本拠地とされます。以後、三浦氏の居城となりました。小田原城の大森氏を滅ぼした伊勢新九郎(北条早雲)は永正九年(1521年)に三浦氏を攻め、三浦義同(道寸)は岡崎城。住吉城から最終的には新井城に立てこもりました。三年も立てこもるも、兵糧も尽き、最後は自刀し、三浦氏は滅亡しました。

土塁
  
周囲の眺望
笠懸(道寸祭り)

近くの城・関連の城: