丹波 / 宍人城



ファイルNo1780

広域に残る屋敷跡

                          主郭北側堀切  

@ ししうどじょう 
  別名 宍人館 

A住所:南丹市園部町宍人
    旧:船井郡園部町

B目標地点:宍人公民館
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・堀切
G時代/人物:室町期/小畠氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  8分

J撮影・訪問時期:2007年09月

  

道案内 

京都縦貫自動車道の園部インタを下り、右折して、府道19号線を園部中心部に向かいます。2.4Km先、園部川原町の信号で国道9号線を横切り、国道477号線に入ります。800m先で国道は左折ですが直進して府道54号線に入ります。2.2Km先の船坂の信号で左折し府道453号線に入ります。1Km先の右手九品寺前を通過し、さらに2Km先の交差点で右折し府道454号線に入ります。200m先の本梅川を越えて左折(魔気小学校手前)、川沿いを進みます。1.4Km先の右手にグランドがあり、宍人公民館があります。この公民館の横から登り、公民館の裏手高台のサイレン塔がある場所が城域の北端で、この奥に城域が展開しています。 
訪城備忘録

公民館の横より登り道が続いています。すぐに道をネットが塞いでいます。これを越えてまっすぐ登ると空堀を越えて主郭まで行くのでしょうが草木が多すぎるため、ネットを越えたら左手に登ります。10mも登れば削平地で北側の出郭のようです。そこから右手に進むと大変大きな深い堀切があります。これを越えると主郭域ですが、この中は直径50m以上の楕円のような領域で、中心部はさらに堀があります。中心部の南側には分厚い土塁になっていて東の崖に面していて櫓台のようです。南側を一段降りると腰郭及び武者隠し風の空堀状の郭があり、外側に土塁を設け、さらに外側に堀が巡ります。主郭の西領域にも区画された屋敷跡のような空間が広がり、屈曲した土塁や空堀が見られます。あるいは、石組みの井戸跡もあったりで、主要部に付随する屋敷群の跡を見ることができます。少々違いは有りますが、近江の井ノ口館・愛知作手の亀山城の屋敷跡(馬呂遺跡)・三重四日市の保々西城などと同様屋敷地の残る城跡です。

主郭西側の空堀と土橋
歴史

豪族の小畠氏の居館とされます。(詰城で宍人城というのがあるのかもしれません。そうするとここは宍人館ということになりますが、現時点では今回訪城したところを宍人城としました。)小畠氏は室町期は守護細川氏の被官であったようですが、この後、戦国時代に入り、自立したようです。天文年間(1532〜55年)には波多野氏に属し、天正三年(1575年)には織田氏に従い、明智光秀に属したようです。江戸期に入り、元和五年(1619年)に園部藩として小出吉親が入封して以後、小畠氏は藩士であったようです。

北側出郭           主郭内の堀と土橋
    主郭土塁櫓台          主郭南側下の土塁と外側(左手)は堀
主郭内        主郭西側堀
主郭西側外屋敷土塁
  
城域先端から宍人集落と魔気小学校遠望           宍人公民館と登り口  

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