伊勢 保々西城



ファイルNo1016


                            主郭虎口と土橋

@ ほぼにしじょう 
  別名 朝倉城・保々西村城

A住所:四日市市西村町城下 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:郭・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/朝倉氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:
2003年03月・2016年02月

  

道案内 ←登り口

東名阪高速道の桑名インタを下り、県道63号線でいなべ市方面に進みます。1.5Km先の星川の信号で国道421号線と合流します。2.4Km先の弁天橋西の信号で国道は右折ですが直進して県道14号線に入ります。2.7Km先の鳥取の信号で左折します。(県道14号線のままです) 1.6Km先で大社橋で員弁川を渡り、3Km先の信号(朝明川を渡った先の信号)で右折し県道621号線に入ります。 900m先で右折して再び新明川を渡り、600m先で左折し丘の麓近くまで行きます。(丘の南側先端上が城跡です) 農道の端に説明板が立っています。説明板の立っている横の十字路を北側へ走ると(来た道からは右折し進みます)300mで山すそですがこの左手(西側)の田んぼの先に城跡への登り口があります。主郭の北側から入る感じになります。
 
訪城記録

城跡は丘陵から張り出した部分の先端にあります。登り口は主郭北側から入ります。田んぼの端に標識がありそこから登ります。5分ほど歩くとまた標識があり左:主郭・右:屋敷跡になります。主郭は尾根先端にU字で深い空堀が巡り、北側と東側に虎口があります。北側虎口は平虎口ですが土橋は明瞭です。東側虎口は土塁にて内桝形状になっているようです。屋敷跡と呼ばれる地域は低い土塁できれいに区画されており正直きれい過ぎて後世の物かと思えてしまいます。主郭部は基本的には単郭の城に広範囲に平坦地が広がった屋敷跡が付随しているという他の城跡ではあまり見られない配置の遺構です。

麓の説明板と城址碑
歴史

康正年間(1455〜57年)に朝倉氏によって築かれました。 朝倉氏は茂福城、保々西城 及び 中野城でこの地方を領有したものです。永禄十一年(1568年)の織田信長の侵攻の際、滝川一益に攻められ落城したとされます。


土橋を横から                  空堀

土塁                    居館跡

  
現地説明板より
城跡遠望

近くの城・関連の城: 茂福城 中野城 市場城