越中 / 堀江城



ファイルNo0875

土肥氏初期の城

              堀跡?(右手主郭)  

@ ほりえじょう 
  別名 

A住所:滑川市堀江  
B目標地点:中加積神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:墓地・田畑

F遺構等:郭・堀?・碑
G時代/人物: 室町期/土肥氏 
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社より5分

J撮影・訪問時期:2005年05月
        (2024年04月)

  
主郭切岸?と堀跡?

【道案内】

富山城から国道41号線で東へ進みます。4Km先荒川東部の信号で左折し県道56号線を進みます。3Km先の新屋の信号で国道8号線(地元では8号線バイハスと呼ばれる新8号線)へ右折します。常願寺川を雄峰大橋で渡り約8Km先の(上砂子坂の信号を越えて1.2Km先)上市川を越えてすぐ有金高架を下り県道61号線へ右折します。400m先の市営野球場前で左折し県道157号線に入ります。富山地方鉄道「なかかづみ」の駅横で踏み切りを渡り、そこより400m先信用金庫を越えてすぐのところを右折します。さらに400m先の左手中加積神社の先左手方向の墓地が城跡です。



【訪城備忘録】

上市川の堤防そばに廻りより3mほど高い台地先端の現在は墓地になっている部分から城址です。大半は水田になっています。台地の周囲は集落よりさらに低いように見え堀跡(深田)のように感じます。


【歴史】

築城に関しては詳細不明ですが、南北朝期に土肥氏が越中で最初に構えた城ともされ、また、弓庄城を本拠とする土肥氏の分家の堀江頼平(土肥頼平)が築城したとも伝えられるようです。後に、この堀江土肥氏より土肥政繁が弓庄城主になっています。


     
  
城址碑
  
主郭遠望
  
  

近くの城・関連の城:弓庄城 上梅沢館 郷柿沢館

          

滑川城 4030 番外

 桐沢本陣(滑川本陣) =滑川城  説明板  滑川市大町 (本陣遊園地) 県道1号線沿い。
 養照寺 滑川市川端町 中滑川駅から西に約400mほどのところで、県道1号線から少し入ったところ。
古い町並み(滑川市瀬羽町周辺) 養照寺の前の県道1号線沿い。 
【桐沢本陣(滑川本陣)】
南北朝期、高月滑川の要害とも言われ、府久呂兼久(ふくろかねひさ)が城主であったという史料があり、戦国期には海岸沿いに城があったようで、狭町(現:瀬羽町)が成立し街並みが成立したとされます。慶長二十年<元和元年>(1615年)、加賀藩によって宿場町として再編され、ここに桐沢本陣(滑川本陣)がありました。

説明板     本陣跡
小泉屋<旧:宮崎酒造>主屋(幕末の建物)
菅田家住宅(明治初期の建物)
旧:土肥家住宅<有隣庵>(幕末の建物)
城戸家住宅(明治初期の建物)
養照寺庫裏<養照寺本陣>
桐沢本陣が火災で焼失後、宮崎酒造の家屋と養照寺が本陣とされ
交代で務めたと言われます。