遠江 天方本城



ファイルNo4020


             西尾根斜面堀切               

@ あまかたほんじょう 
  別名 天方古城 

A住所:周智郡森町問詰
B目標地点:天方幼稚園・大鳥居八幡宮
C形式:山城  D比高:90m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堅堀・説明板
G時代/人物:室町期/天方氏(山内氏)
H満足度: 凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  八幡神社麓から20分

J撮影・訪問時期:2024年03月

  

道案内 

新東名自動車道の森掛川インタを下り、信号を右折し県道40号線を進みます。約2.5km先の福田地の信号を右折し、県道58号線に入ります。約1.5km先で県道は左折で森川橋を渡ります。すぐの森川橋西の信号で県道58号線は右折になります。約800m先の天森橋の信号で、そこからさらに約1km先が城下の信号です。約1.7km先が元開橋のT字信号で、これを左折します。約100m先で右折します。 
 
訪城備忘録

平成になって発見された城跡との事です。 旧天方小・幼稚園前に説明板があり、その西側に大鳥居八幡宮への石段があります。その石段横に茶畑に行く細道があります。ここをまずは一番上がると小さな十字路で右手は八幡宮、直進(標識有)が茶畑・城跡方向です。蛇行したつづら道を登ります。一番上が「馬場平」と呼ばれる茶畑です。ここまで車(軽四がベター)で上がって来れるかと思います。(作業をされていない前提。馬場平まで無理でも最初の十字路付近の空き地には停められるかも) 小さな十字路から登った上の茶畑の最初部分の道の右手が谷状に地形があり、これを堀切と資料に書いてありましたが、あまりに深く、主要部の遺構に比べてはっきりしすぎていて自然地形に見えます。

馬場平の一番奥、標識のある所から山林に入ります。道があったんでしょうけど、いまは判らないため直登します。前面に櫓台の切岸が壁になってます。右端から櫓台に入りました。この斜面に堅堀があるようですがシダでわかりにくいです。櫓台もシダが群生してます。ここを過ぎると一段下がります。けっこう広い平坦地でその先がもう一度一段登りますと主郭です。削平は甘い感じもします。

北西側の尾根斜面を下りていくと堀切があります。上から見てなんとか堀切と判る程度です。振り返ると主郭の切岸は鋭いです。尾根をされに下りると小さな平坦地(二の郭)、その先に堀切の痕跡があります。主郭の西斜面には堅堀状の窪みがありますが、違うのかな?

主郭東の尾根を下ります。主郭と尾根の段差は高いです。細尾根を進む感じで北側にところどころ平坦地がありますが、郭かどうかわからないです。この尾根の先端には三の郭があるようですが、ダラダラ尾根を歩くのに飽きて行くのをやめました。^^;

やはり古い城という事でしょうか?遺構が風化している感じがします。

説明板
歴史

鎌倉末期、地頭として入った山内氏は山内道美(どうび)が飯田古城(飯田城)を築き、南北朝後期、山内道秀が天方氏を称したとされます。応永年間(1394〜1428年)に天方本城を築いたされるようです。明応三年(1494年)、今川氏の侵攻で、天方氏は今川氏に従いました。文亀元年(1501年)、斯波氏の侵攻に遭い、城主、天方氏五代の天方通季は天方本城の南に白山城を築いたとされます。その後、築城時期は定かではないものの永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い前後と思われる時期に、天方通興は、新たに天方新城(天方城)を築きました。

北西尾根を下から     主郭南西下堅堀?
茶畑への道      登城道と標識    主要部へ登り口
  
茶畑が始まるところにある堀切?(資料に堀切とあるけど??)
主要部手前の「馬場平」と呼ばれる茶畑     茶畑端の堀切痕跡?     
主要部への斜面と切岸
正面の一段高いところが櫓台、手前は主郭前の削平地
主郭
北西斜面の堀切を上から
堀切
斜面から主郭を見上げる
北西尾根
東尾根から主郭を見上げる
東尾根
東尾根

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