道案内 |
新東名自動車道の森掛川インタを下り、信号を右折し県道40号線を進みます。約2.5km先の福田地の信号を左折し、県道58号線に入ります。約2km先の飯田小学校南の信号で左折し県道81号線に入ります。約250m先、左手小学校の敷地が切れたところで右折します。(飯田城の標識あり) すぐのY字を左手に行きます。100m先を右折(飯田城の標識あり)し、住宅団地を端を進みます。約200m先を左折し、坂を登る感じで進み、約500m先の左手が崇信寺です。寺も山門の前に道に右折します。約200m先で下からの道と合流します。そのまま進みます。(下からの道だと右折) 元は茶畑?のところを200mほど進んだところが城跡の下です。
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訪城備忘録 |
2002年に一度訪城してますが崇信寺(飯田古城)までしか行けてなくて不完全燃焼でした。今回はちゃんと行けました。(笑) 飯田古城の城域はほぼ崇信寺一帯と言われています。
主郭は北東西に土塁が巡り、特に北側は櫓台含め土塁が高いです。南側に一段下がった二の郭があり、その南側に土塁が横たわります。二の郭の西側に坂虎口があり、大手道とされます。主郭の西土塁の北側に二重堀切があります。主郭の北側、東側の土塁、主郭北側土塁の北側下の郭は相当に伐採されてました。今後も整備は進むんでしょうね。
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山内対馬守道美公飯田城址と刻まれた石碑と説明板
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山内氏は備後の出で、弘安四年(1281年)に地頭としてこの一帯を安堵された山内道茂が祖であり、山内道弘、道秀の代に遠江に入り、天方に城を築いたとされます。(=城ケ島の城跡<森町鍛冶島>の事を言うのかな・・・?) 鎌倉末期に飯田の地に館を築いたとされ、この古城は現在の崇信寺一帯であったとされます。応永年間(1394〜1428年)の初期(1401年頃?)、山内道美(どうび)が飯田城を築いたとされます。応永八年(1401年)に古城跡に崇信寺が建立されています。永禄三年(1560年)に今川義元が織田信長に討たれた後も今川氏方でありましたが、永禄十二年(1569年)、徳川氏勢に攻められ、山内通泰は敗死しました。その後、徳川氏の城であったり、元亀三年(1572年)に武田氏に奪われたりしたようですが、再び徳川氏が奪還したものの、廃城時期は定かではないようです。 <現地説明板に加筆>
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