遠江 天方城



ファイルNo1353


               空堀             

@ あまかたじょう 
  別名 天方新城 

A住所:周智郡森町向天方
B目標地点:城ケ山公園
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:公園:山林

F遺構等:郭・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/天方氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山頂駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2003年11月

  

道案内     ←登り口

新東名自動車道の森掛川インタを下り、信号を右折し県道40号線を進みます。約2.5km先の福田地の信号を右折し、県道58号線に入ります。約1.5km先で県道は左折で森川橋を渡ります。すぐの森川橋西の信号で県道58号線は右折になります。約800m先の天森橋の信号で右折し、再度、太田川を渡ります。渡ってすぐを左折し、約100m先を右折します。 約500m先を左折し、約50m先を斜め右に登ります。ここからさらに細い道を登ります。約800m先を直進していきます。約1.2km先が駐車場です。

訪城備忘録

この城は2003年に訪城した城で、2024年3月に天方本城(天方古城)に訪城した際再訪するつもりでしたが、日没で行けなかったんですが、天方本城の個別城跡備忘録をUpするのに天方城が無いのもと思い、こちらも作成しました。記憶的にほとんど残っていませんので、概略と見てください。

二の郭はあるものの単郭の城という感じです。主郭周囲三方に空堀が巡り、二の郭側(北側)の空堀沿いに土塁が残ります。やたら系図などが詳しい説明板があります。主郭中央には城址碑があります。二の郭の外側(駐車場の両サイド)にも空堀があるようですが、写真も撮ってない感じですわ・・・・^^;

主郭の城址碑
歴史

鎌倉末期、地頭として入った山内氏は、山内道美(どうび)が飯田古城(飯田城)を築き、南北朝後期、山内道秀が天方氏を称したとされます。応永年間(1394〜1428年)に天方本城を築いたされるようです。明応三年(1494年)、今川氏の侵攻で、天方氏は今川氏に従いました。文亀元年(1501年)、斯波氏の侵攻に遭い、城主、天方氏五代の天方通季は天方本城の南に白山城を築いたとされます。<ここまでは天方本城>

築城時期は定かではないものの永禄三年(1560年)の桶狭間の戦い前後と思われる時期に、天方通興は、新たに天方新城(天方城)を築きました。永禄十一年(1566年)、徳川氏の侵攻を受け徳川氏に降伏しました。元亀元年(1570年)、武田信玄の動きに呼応して徳川氏を離反しますが、徳川氏に攻められ降伏し再び帰属しました。元亀三年(1572年)、武田信玄が遠江に侵攻を開始、通興は徳川氏を頼り撤退しますが、翌年奪還されます。慶応元年(1596年)、通興が死去した頃、城も廃城になったとされます。

空堀      空堀と土橋
現地説明板より(これはFB友にいただいた画像です)
  
空堀
空堀と土塁

近くの城・関連の城:天方本城