越前 / 丸岡城



ファイルNo1209

現存十二天守のひとつ。福井地震で崩壊したものの古材を使い復元されたもので、現存扱いになっています。

          天守

@ まるおかじょう 
  別名 霞城 

A住所:坂井市丸岡町霞町1丁目
   旧:坂井郡丸岡町 

B目標地点: 
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・宅地 

F遺構等:現存天守・石垣・堀 
G時代/人物:戦国期/柴田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2001年06月・2016年08月 
            2018年09月 他

  
天守

道案内】  

北陸高速道丸岡インタを下り、県道30号線を国道8号線方面に進みます。インタから500m先の信号で右折し県道17号線に入ります。1.4Km先右手が丸岡城です。(国道8号線からは一本田中の信号で県道17号線に入り、道なりで1Km先です。)



【訪城備忘録】

小丘の頂上にポツンと丸岡城の現存天守が残っているという感じです。一段下がった本丸一部にも石垣が残りますが、あとの部分は市街化などで消滅状態のようです。天守は古式な望楼形で日本最古の現存天守と言われています。福井地震で崩壊したものの古材を使い復元されたもので、現存扱いになっています。石垣も野面積みの古風な感じ。これも天守台石垣と本丸石部の石垣が残るのみです。華やかさは無いですが、戦国の趣のある城です。



【歴史】

天正四年(1576年)に北の庄城の柴田勝家の甥に当たる柴田勝豊が北の庄城の北の守りとして丸岡城を築城しました。天正十年(1582年)に勝豊は長浜城に転封となり、不破氏の持城となりました。柴田氏が滅亡すると、丹羽長秀の家臣の青山伊賀守宗勝、子の修理大夫忠元の居城となりました。慶長六年(1601年)に本多飛騨守成重が居城となり、寛永元年(1624年)に本田氏は丸岡藩を立てました。元禄八年(1695年)に本田氏は改易となり、糸魚川より有馬清純が5万石で入部し、以後、明治維新まで八代続きました。


本田氏は三河三奉行と言われた本多重次の子孫で、重次の「一筆啓上、火の用心。おせん泣かすな、馬肥やせ」という短い手紙は有名です。


  
天守と古風な石垣
  
天守石垣
  
本丸石垣
  
天守
天守
天守(麓から)
天守(麓から)

近くの城・関連の城:豊原寺

          

天守狭間より
天守内
天守内
2014年12月 天守夜景