越前/ | 北庄城 |
ファイルNo1187 |
柴田勝家の居城
@ きたのしょうじょう |
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【道案内】 北陸自動車道福井インタを下り、国道158号線を福井市内中心部に向かいます。国道8号線が高架で交差する西方の信号を直進して県道5号線に入ります。2.1Km先で高架でJR北陸線を越えて降りた右手の神社が城跡です。 【訪城備忘録】 町の中心部に小さな柴田神社としてその痕跡が残るのみです。地下に眠っていた本丸石垣が発掘され展示されています。2004年には神社周辺を城址公園として整備され、福井城三の丸の石垣が展示されています。 【歴史】 黒丸朝倉氏の四代朝倉貞景の次男の頼景が北庄に居館を構え、北庄遠江守と名乗ったようです。文明三年(1471年)に黒丸朝倉氏七代の孝景が一乗谷に本拠を移し一乗谷朝倉氏初代となりますが、これ以降、北庄は支城として機能します。天正元年(1573年)に朝倉義景が織田信長に滅ぼされると、頼景から六代続いた北庄朝倉氏も滅びました。この居館が北庄城と同じ位置かは不明のようです。天正三年(1575年)に柴田勝家は織田信長の命で越前49万石を領し北庄城を築城しました。勝家はまだ平山城が主流の時期に完全な平城を構築しました。この北庄城は足羽川と吉野川の合流点を本丸とし九層の天守を構えたと伝えられます。この巨城も天正十一年(1584年)に羽柴(豊臣)秀吉に攻められ落城しました。 その後、丹羽氏、堀氏、青木氏が在城し、慶長五年(1600年)の関が原の戦い後、結城秀康が68万石で越前に入り、翌年より北庄城を大改修し近世福井城を築城したことにより北庄城は消滅しました。 |
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夜の北之庄公園(発掘された福井城三の丸石垣) |
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