越前 / 福井城



ファイルNo1186

                              本丸石垣   

@ ふくいじょう 
  別名 

A住所:福井市大手3丁目 
B目標地点:福井県庁 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:県庁・公共施設・市街地 

F遺構等:石垣・水堀・碑・説明板 
G時代/人物:江戸期/結城氏〜松平氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2001年08月・2016年07月 他

  
内堀と本丸石垣

道案内】 

北陸高速道福井インタを下り、国道158号線を福井市内中心部に向かいます。国道8号線が高架で交差する西方の信号を直進して県道5号線に入ります。2.1Km先で高架でJR北陸線を越え、さらに500m先の幸橋北詰の信号で右折し、次の大名町の信号で再度右折します。400m先で左折すると正面が県庁です。
 


【現況・訪城記録】

城跡の本丸は県庁となっているものの、本丸の水堀と石垣が残ります。天守台、折れの入った石垣、切り込みはぎの石垣、内堀側石垣に犬走りがあったりで近世城郭の中心部分がよく残ります。福井地震の影響で天守台石垣が歪に膨らんで変形しています。福井市北側の大安禅寺に越前松平家の廟所があり、初代結城秀康公を始めとした歴代城主の墓があります。

 
【歴史】

慶長五年に越前68万石で結城(松平)秀康が入部し、慶長六年より福井城(北の庄城)の大改修(築城)を開始し、慶長十一年に完成しました。慶長十二年に秀康が亡くなり、後を忠直が継ぎますが、寛永元年(1624年)に乱行を理由に豊後に配流され、忠直の弟の忠昌が51万5280石にて越前を継承しました。忠昌はこの地を北の庄から福居、後に福井と改めました。この後、分封や減封などありいったん25万石まで領地は少なくなりましたが、分家松岡藩の宗昌が九代藩主になった際に30万石となりました。十代藩主宗矩で秀康系の系統は途絶え以後は養子が相続しました。天保十一年(1840年)には十六代藩主に慶永(春嶽)が就き幕末動乱に活躍しました。


  
天守台
  
  
復元御廊下橋
  

近くの城・関連の城:北ノ庄城

            

現地案内板より
天守台
廟所入口石垣    大安禅寺   結城秀康の廟所