近江 大溝陣屋



ファイルNo4042


               総門             

@ おおみぞじんや 
  別名  

A住所:高島市勝野
B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:住宅地

F遺構等:門・説明板
G時代/人物:江戸期/分部氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2006年05月・2024年05月

  

道案内  総門

琵琶湖の西岸、国道161号線を琵琶湖大橋のところから北上すること約25Km地点、琵琶湖に鳥居が建つ白髭神社のところより1.4Km先、国道161号線と高島町市街地に入る道とのY字分岐を斜め左の市街地方面に入り、JR湖西線近江高島駅に向かいます。約1.6km先が近江高島駅口の信号で直進し県道300号線に入ります。約200m先を左折した先の左側が総門です。

訪城備忘録

総門の復元工事が完了したとの事で見に行きました。以前は民間の家になっていたので、生活感漂う建物になってましたが、復元され凛とした建物になってます。内部には総門の案内所や高島の歴史のビデオ公開の部屋があります。総門以外に陣屋の遺構は無いですが、総門の北側には幾つかの江戸期の建物が残ります。一か所武家屋敷の建物(個人宅)も残っており、さらに、山裾の国光寺には分部氏の歴代藩主などの墓所があります。

説明板
歴史

大溝城の跡地の一部に元和五年(1619年)、伊勢上野から分部光信が二万石で入部し大溝藩となりました。その際、織田信澄時代の大溝城の武家屋敷の門であったものを総門として、武家地と町屋地を分ける門として使われました。その後、宝暦五年(1755年)に前身の門の部材を再利用して現在の門が建てられたとされます。分部氏は明治維新まで十一代の大溝の藩主でした。明治に入り、総門は民間に払い下げられましたが、平成十七年(2005年)に高島市が買い取り、令和四年(2022年)より復元工事が開始され令和六年(2024年)完成したものです。

総門の内部     総門
武家屋敷(笠井家)      修復前の総門 
  
総門の全景
総門を内側から
国光寺(分部氏の墓所)
大溝の街並み

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