近江 南津田城



ファイルNo2733

津田氏(織田氏)発祥の地

              津田・織田一族の祖の碑              

@ みなみつだじょう 
  別名  

A住所:近江八幡市南津田町
B目標地点:
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:ーー
G時代/人物:−−期/ーー氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  八王子神社から八幡山出丸まで20分

J撮影・訪問時期:2012年07月

  

道案内 ←碑のある場所

名神高速竜王インタを下り、国道477号線を北に向かいます。西横関の信号で右折し国道8号線に入ります。600m先、日野川を越えたところの東川の信号で左折し県道326号線に入ります。4Km先の小船木町の信号で県道2号線(朝鮮人街道)を横切り、2.5Km先の琵琶湖湖畔まで行きます。信号で右折し県道559号線(湖岸道路)に入ります。1.6km先近江八幡運動公園を越えたところ(橋の手前)で右折し、1.8km進むと南津田町集落の入口です。集落内は道が細いですが、山側の真念寺そばの小公園に津田親真の顕彰碑(津田・織田一族の祖)が建てられています。
 
訪城備忘録

南津田町の東にある津田天満宮と西にある八王子神社に城への標識があるんです。滋賀県の資料などにはない城なんですがね。標識にそそられて二箇所を登ってみました。

津田八幡宮から背後に登るとなんとなく平坦地はありますが城跡の雰囲気はありませんでした。さらに進むといったん竹林古道という道に出て、そこからさらに登ると石舞台古墳と呼ばれている箇所に至ります。ここの奥に行くと、石垣の伴う段郭が多くあります。この地帯は長命寺の所有地らしいので、寺跡なのかも知れませんが、謎の平坦地です。

八王子神社から登ると平坦地が何箇所かあったり、竪堀や土塁痕のような箇所もありますが、城という感じはやはりしません。黄色のテープに従ってどんどん登って行くと八幡山城の出丸下石垣のところに出ます。

この出丸が元は南津田山城つう事?? 双方とも登り口には標識がありますが、現地には標識らしいものも見当たりませんでした。それでも、昔から地元の方が城跡あるいは古墳として整備などをされているようです。敬意を表して城としてカウントさせていただきました。この南津田町は津田氏そして織田氏の発祥の地として最近顕彰碑が建てられました。地元のご婦人とお話しましたら、町内の水路跡の石垣は江戸以前からある石垣が残っているそうです。見たところそれほどの古さは感じないんですが果たしてどうなんでしょうか? また、津田天満宮は菅原道真が大宰府に左遷される際に立ち寄った場所とされます。京都から大宰府は反対側ですが、琵琶湖を渡ってから日本海に出て船で大宰府に向かうため近江にまずは出たという伝説のようです。

南津田から八幡山
歴史

城については詳細不明です。
南津田町は津田氏ー織田氏の発祥地として2011年9月に顕彰碑が地元有志の手に寄って建てられました。織田氏の始祖の津田親真(1183〜1259)は父の平資盛が落ち延びる際に近江津田荘の津田氏に母である三井寺一条坊あじゃりを匿ってもらい、そこで生まれた子が親真としています。あじゃりは資盛が壇ノ浦で死んだ後に津田氏と再婚、親真は貞永二年(1233年)に越前国織田劔神社の神主の養子となって織田姓を称したという説をもって津田親真を津田氏・織田氏の始祖として顕彰碑を建てられたようです。福井県の剱神社には織田氏発祥の碑があります。

 竪堀風       八王子神社から      平坦地
津田八幡宮と標識
八王子神社と標識
津田八幡宮背後の尾根
  
津田石舞台古墳
謎の石垣と削平地
謎の削平地          石舞台から琵琶湖

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