近江/ | 若宮氏館 +嶋氏館(飯村城) |
ファイルNo1298 |
山内一豊の妻の千代、生誕の地(近江説の場合)
@ わかみやしやかた |
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【道案内】 北陸自動車道米原インタを下り、国道21号線を彦根方面に向かい、西円寺の信号で右折し国道8号線に入り約1.6Km先の顔戸の信号(国道8号線米原バイパスとの合流点)を左折し県道235号線に入ります。500m先の宇賀野の信号で左折し県道556号線に入ります。200m先の信号を右折するとJR坂田駅です。さらに200m先の信号を越え、500m先の左手が飯村橋のところの飯村のバス停の反対側、右手に下りて行くと飯の集落です。(車では進入できません)路地を進み、すぐ右手奥が春日神社で、ここが嶋氏館跡です。路地を200mほどさらに進み徳善寺、JR北陸線のガードを越えた辺りが若宮氏館跡です。現在は若宮公園とされています。(あるいは、彦根市内の松原の信号から県道2号線(湖周道路)を進み世継の信号で右折し県道235号線に入り2Km先が踏切、400m先が宇賀野の信号でここを右折します。徒歩ならJR坂田駅から南に歩いても600mほどです。) 【訪城備忘録】 若宮公園周辺の水路は堀跡とも伝わりますが、明瞭な遺構はありません。2006年大河ドラマは功名が辻で、千代の出生地説のあるこの地は幟がいっぱいでした。千代さんの出生地は郡上八幡とも言われています。 【歴史】 ※ 京極氏の六家老の一人で、後に浅井氏に従った若宮氏の居館とされます。永禄九年(1566年)に当主の若宮左馬助が討死しましたが、浅井長政は左馬助の娘のまつ(千代の従姉妹)を当主とみなし存続させました。 ※ 今井氏<新庄城(近江町新庄)>の同族で浅井氏の家臣の嶋氏は、館の東にある北国街道の飯村川の渡しを管理する立場にあったとされます。浅井氏滅亡後に嶋氏はこの地を離れましたが、所領を家臣に預けて行きました。その家臣を嶋仲間と呼び、4組から成り、位牌などを守ったとされます。 石田三成の重臣の嶋左近は出目が定かではなく大和説が有力ですが、ここ嶋氏の一族という説もあります。 <現地案内板より> ※ 山内一豊の妻「千代」 <見性院> 山内一豊の妻の千代は若宮喜助友興の子として弘治三年(1557年)にここで生まれと言う説があります。一説には郡上八幡の遠藤氏の子という説もあります。永禄九年(1566年)に父友興が戦死し、叔母の夫の不破氏に養われたが、長じて飯村に戻りましたが、隣村の宇賀野村の長野家に身を寄せていた山内一豊母子と出合い、一豊の妻になったされます。夫の出世を助け、内助の功を発揮し、妻の鑑とされました。晩年は京都に住み元和三年(1617年)に没しました。墓は妙心寺大通寺にあります。 <現地案内板より> |
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