近江 / | 日野中野城 |
ファイルNo0791 |
日野の英雄、蒲生氏郷の居城
@ なかのじょう |
道案内 | |||
名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で右折し国道307号線に入り、約10Km先の日野町の松尾の信号(信号手前右に蒲生氏郷の像が建っています。)で左折し、日野町の中心部を抜けます。(この通りの右手奥には日野商人の町並みや蒲生氏の菩提寺の信楽院などがあります。)3.5km先、城跡の標識のあるところで右折し、道なり200m先に日野ダムの駐車場があります。 |
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訪城備忘録 | |||
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城址の南側・西側は日野ダムに水没していますが、本丸北側の櫓台?の石垣と北側に堀が残っています。本丸は現在の神社南側から旅館・駐車場のあるところ、さらにダム湖側にあったようです。城地は本丸のさらに南側に展開されていたようで、遺構はダム湖に消えた事になります、南側にはダム湖・宅地・旅館・駐車場になっており、主要部の石垣も神社の石垣のように見えて印象的にはあまり城跡という感じがしません。ただ、深い堀は往時の城の規模を想像させてくれます。茶畑の先には土塁が残り、堀の一部も残っているようですが、藪で見られません。 |
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築城の最初は、文亀・大永年間(1501〜1523年)に音羽城の支城砦として築かれたのが最初とされ、天文2年(1533年)より蒲生定秀が当主となり、ここを本城とし拡張しました。弘治二年(1556年)に定秀の孫・賢秀の子の氏郷がこの城にて生まれています。天正十二年(1584年)に氏郷は伊勢松ケ島城に移封となり、その後、慶長二年(1597年)に廃城となっています。<現地案内板より> |
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