近江 / | 井元城 |
ファイルNo0768 |
陣城程度の規模ですが、二重の馬出しのような遺構が残る城
@ いもとじょう |
道案内 | |||
名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で左折し国道307号線に入り1Km先で愛知川を春日橋で渡り、400m先の妹南の信号で左折して100m先右側、春日神社の隣の保育園の北側(駐車場のところ)背後の段丘上が城跡です。駐車場から斜面を直登する感じで登りました。10m程度ですから 大したことはありません。 段丘上の集落側からも行けます。 |
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訪城備忘録 | |||
2度目の訪城でした。前回は雨の日で夏場に行ったので草木も伸びていたので早々に引き上げました。この城は土塁・空堀は良く残ります。主郭は30m四方の単郭構造に馬出が二重にあるという構造です。この二重馬出はあまり例が無く、めずらしいものとされます。ただ、この場所を城郭遺構とした場合、土塁は現状で1mもなく、空堀は2m幅で深さも1mあるかどうかという感じです。往時はもう少し土塁の高さ・堀の深さもあったとして、土塁の上に柵などを張り巡らしたとしても、これで防御となるのか疑問です。二重馬出にしても同様の土塁の高さで、この土塁程度の高さ(往時はもう少し高かったとしても)で馬出本来の機能は果たせないのではないかと感じます。また、陣城程度とは言え、主郭の規模が小さすぎる感があります。そばの春日神社本殿は丘陵を削り込んで敷地が作られており、掘り込んだ土が周囲に盛り上げられ、よほど土塁らしい感じがします。果たしてここは城郭遺構なんでしょうか? 2019年03月三度目の訪城。 今も遺構は綺麗にされてました。 |
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築城時期・築城者は不明です。但し、城郭遺構とした場合の馬出し構造からして元亀四年(1573年)の織田信長の鯰江城攻めのための付城のひとつであったと考えられます。 |