近江/ 打下城



ファイルNo0663

北主郭の郭を巡る土塁は想像以上のすばらしさ

   北主郭の手前土橋と北主郭土塁・虎口

@ うちおろしじょう 
  別名  大溝古城

A住所:高島市勝野
    旧:高島郡高島町
B目標地点:日吉神社

C形式:山城  D比高:300m 
E現況:山林

F遺構等:土塁・堀・竪堀・石垣・碑・説明板
G時代/人物: 室町期/林氏?・高島氏?
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の神社より50分

J撮影・訪問時期:
2003年08月・2014年10月
            2016年08月・2020年01月

  

道案内  ←中主郭  ←北主郭  ←登り口

琵琶湖の西岸、国道161号線を琵琶湖大橋のところから北上すること約25Km地点、琵琶湖に鳥居が建つ白髭神社のところより約1.4Km先、国道161号線と高島町市街地に入る道(旧161号線)との分岐を斜め左に入り市街地に向かいます。JR湖西線近江高島駅を目指します。近江高島駅の東側は乙女ケ池、大溝城です。駅の西側(城山台側)の北側の道を200m進み南北の道を直進し約50m先を右折し、約200m先の路地に左折しすぐを左折すると日吉神社です。 (南北の道から回り込むと円光寺、大善寺前を通ります。この道の一番奥が日吉神社です。) 日吉神社鳥居を正面で左手へ約10m奥で右折し(案内標柱有り・但し、入口は藪で見にくい)山道を砂防ダムまで登ります。さらに案内板に従い尾根まで登り、尾根にある案内板に従い、左手方向の城域に進みます。
 
訪城備忘録

神社から砂防ダムへ向かう入口には小さな標識はありますが、道が藪化してますのでここだけ注意です。すぐに下草もない処に出て川沿いを進みます。獣除けフェンスのゲートを抜け、砂防ダム横まで登ります。そこから尾根まであえぎながら登りましたが、下草も少なく道は整備されていました。登城道から中主郭に入る手前、左手は二重の竪堀があり、右手は主郭下を巡る横掘のようです。中主郭は四方を土塁が巡り、北東の平虎口に石垣が残ります。北西側下には鍵状の土塁のある郭も認められます。

虎口石垣付近より北主郭に下りて行きますが、切岸は高い小郭が7段ほど続き、比高で50mほど下りたところで北主郭の虎口に至ります。虎口は平虎口ですが、中主郭より印象に残る大きさです。土塁も高く、規模も大きい郭で、中心部が一段高く、その中心部を囲むようにU字の堀状の郭が取り囲んでいる感じです。北主郭の北西側斜面には数条の畝状竪堀がありました。

以前の訪城の際は、下山中に猿の群れが歩いてる私の頭上を何匹も飛んで行きました。このあたりは比叡山から比良山系の一角ですので猿がいるのも当然ですが、20匹程度いるとやはりこわいですね^^;; 2014年の訪城は前に比べ木々の伐採、標識の設置など整備は進んでますが、数年前の台風の倒木でしょうか、伐採とは別に多くの木々が倒れていました。2003年に一度訪城しましたが、中主郭で撤退してしまいました。2014年に改めて訪城しましたが、前回行けてなかった北主郭を含めて見学しましたが、改めて大きさを感じました。信長公記の文庫本に林氏が記述されていたので、再訪したくなったんです。

2016年8月に再訪するも、軽い熱中症になり、尾根上で断念^^;しました。 2020年1月に再訪。標識など置かれ、少し整備されたようです。今回は南郭、東郭なども含めほぼ全域を廻りました。東郭は中主郭虎口前の斜面下を下り、やや左手の張り出し尾根にあります。北側に一直線の土塁があり、東端もやや土塁状に盛り上がっています。郭下は桝形状にクランクした道がありますが遺構でしょうか? 南郭は中主郭の南下堀切の先の尾根上になり、東側の斜面下にも広い平坦地があります。南端下は高低差のある斜面を下りると自然地形的な大堀切になってます。その東斜面は大きな竪堀状につながります。なお、北主郭の西側下尾根上は案内板の縄張り図には描かれてはいませんが段郭上になってました。

ここからさらに上に登ると「下の鼻打」という箇所があり、眺望が広がります。<2020年、下の鼻打は藪がひどくて眺望どころではなかったです。この代わり、長法寺に向かう分岐点近くの鉄塔からの眺望は以前より開けてました> ここから西斜面を下りて行くと長法寺城に至り、北へ頂上方面に向かうと見張山になりますが、この見張山頂上部、あるいは、長法寺領域は、古代城の三尾城と比定されるようです。
麓、国道沿いには琵琶湖の中に鳥居がある白髭神社があります。

中主郭にある説明板
歴史

打下城跡は大溝古城とも呼ばれ378.7mの山頂一帯にあって、東西270m・南北300m以上の城域を有する大規模な中世山城です。ここからは湖北や湖東地方も展望でき、直下を通る北国街道(西近江路)を容易に見渡せる交通上の要衝にあります。城の遺構は大別して南北の2ブロックに分かれます。この地は南ブロックの中主郭は標高379mのピークに設けられた30m*25mで2段の曲輪であり主郭であると考えられます。北ブロックの遺構は主郭より北方へ延びる尾根上に数カ所の小曲輪を連結し、それより先端の土橋を渡って虎口に達する大型の曲輪(54m*32m)と東側周辺の畝堀及び2カ所の小曲輪群よりなります。打下城の創建は永禄年間以前(1558年以前)に国人領主の林氏又は高島氏が関与したものとされますが、元亀年間(1570〜72年)に江北の浅井氏か越前の朝倉氏による改修の跡が認められます。また、その後は織田信長の陣所となったこともあります。城跡にはバラエティーに富んだ築城展開がみられ県下有数のの縄張りを持つ山城です。<現地案内板より 高島町観光協会>

中主郭虎口石垣        北主郭郭内土塁
中主郭の土塁と郭内
北主郭内と土塁
現地案内板より 黄色矢印は城域侵入口
中主郭手前畝状竪堀
中主郭下横掘       中主郭北西下郭土塁
中主郭下横掘
中主郭虎口より郭内
中主郭虎口外側石垣
中主郭から北主郭への間の連続小郭の切岸
北主郭手前堀と土橋、その先に主郭土塁と虎口
北主郭手前堀と土橋を虎口側から
         北主郭虎口      主郭内(左手上段の郭、右手土塁と下の郭)
北主郭虎口
北主郭虎口を郭側から
北主郭西側を巡る土塁と郭内
北主郭土塁
北主郭の二段目の土塁    二段目の切岸
北主郭北西下畝状竪堀
北主郭北西下畝状竪堀
北主郭北西下畝状竪堀
   北主郭内       北主郭虎口を郭内から
東郭・南郭
東郭と土塁
東郭の東端
東郭の東端下の桝形上の通路(遺構?)
中主郭の南下堀切
南郭・右手土塁
南郭土塁        南郭下の自然地形上大堀切
大堀切からの竪堀
打下城のさらに上で「下の鼻打」付近よりの眺望
下の鼻打の西側にある鉄塔からの眺望(琵琶湖大橋方向)
下の鼻打の西側にある鉄塔からの眺望・二本目の鉄塔の左手下が長法寺遺跡
下の鼻打の西側にある鉄塔からの眺望(近江八幡方向)
下の鼻打からの眺望(安曇川・新旭方向)
下の鼻打からの眺望(萩の浜)
城跡近くの白髭神社
琵琶湖に浮かぶ鳥居
対岸を遠望
白髭神社本殿(背後の山には城郭遺構が残るようです)
湖上の鳥居のライトアップ

近くの城・関連の城:大溝城長法寺城 ※