近江の城027  

                                                                               

永田城  1986
土塁

土塁と堀の名残?
A高島市永田  旧:高島郡高島町

琵琶湖の西岸、国道161号線を琵琶湖大橋のところから北上すること約27Km地点、琵琶湖に鳥居が建つ白髭神社のところより3.2Km先、国道161号線の国道勝野の信号を左折し県道296号線に入ります。<JR湖西線を越えます>1.2km先の音羽の信号で右折し、300m先で和田打川を渡ると右手が長田神社及び永田集落です。橋から300m先の交差点で右折します。この道は永田の集落を迂回した新道です。新道はくの字集落を迂回していますが、その真ん中<十字路から300mほど>の右手の民家横の茂みが城跡です。茂み全体が廻りの集落より一段高く土塁の痕跡のようです。集落側から見ると民家との境が少し下がっていて掘跡にも見えますがどうでしょうか?

C平城
F遺構等:土塁・堀?
G鎌倉期/永田氏 
H満足度:凸+
高島七頭の永田氏の居城とされます。永田氏は佐々木信綱の次男高信が高島郡を領して高島氏を称し、高信の三男の胤信が永田氏を名乗った事から始まります。

J訪城:2008/10
  
(高島)横山城  1987
大清寺
A高島市武曽横山   旧:高島郡高島町
B大清寺
琵琶湖の西岸、国道161号線を琵琶湖大橋のところから北上すること約27Km地点、琵琶湖に鳥居が建つ白髭神社のところより3.2Km先、国道161号線の国道勝野の信号を左折し県道296号線に入ります。<JR湖西線を越えます>3.8km先、武曽口のバス停付近で右折し県道297号線に入ります。1.5km先、八田川手前左手が横山の集落です。この集落の後方に大清寺があります。館跡は特定できませんでした。この集落の大半が館だったんかもしれません。

C平山城
F遺構等:なし
G南北朝期/横山氏 
H満足度:凸
高島七頭の横山氏の居城とされます。横山氏は高島高信の次男である頼綱が朽木氏を名乗り、頼綱の長男の頼信が横山氏を名乗った事が始まりです。

J訪城:2008/10
 
   
五十川城 1988
五十川配水場(城域)
報恩寺前から琵琶湖方面遠望
城跡遠望

@いかがわじょう A高島市新旭町饗庭
 旧:高島郡新旭町饗庭
B報恩寺・五十川配水場・大国主神社

国道161号線で大津方面から来ると、新安曇川大橋で安曇川を越えて900m先が北畑の信号を左折し県道38号線に入ります。1.5km先の安井川の信号で右折し県道558号線に入ります。2.1km先の左手も大国主神社を越えて200m先の左手に報恩寺への道がありますので、ここを左折し近くに止めて報恩寺の左手竹薮より登ります。竹薮を過ぎると平坦地に出て林道に出ます。ここからさらに砲台状に見える高台への階段を登ると配水場に至ります。ここが城址とされます。<配水場への山道は県道558号線の大国主神社より300m手前を左折し、150m先を右折、さらにY字を右手に登れば行けるようですが通行可能かは通っていないのでわかりません> 城跡は配水場になっているため、遺構は無いように見えます。周囲を歩いてみても遺構らしきものは無いようです。

C山城
F遺構等:郭?・土塁? 
G−−期/吉武氏 
H満足度:凸
吉武氏の本城とされます。

J訪城:2008/10
   K関連の城:吉武城