加賀 | 塔尾超勝寺 |
ファイルNo3850 |
@ とのおちょうかつじ |
道案内 | |||
北陸高速道加賀インタを下り、熊坂の信号で左折し国道8号線に入ります、約8Km先の松山の信号を右折します。<片山津インタから片山津温泉を経由してJRいぶりばし<動橋>駅前から県道39号線で国道8号線にも出られます> 右折し県道39号線に入り、約6.6km先を斜め左に入り塔尾町集落に入ります。約300m先で左折し、さらに約60m先を左折(この正面、山へのゲートが城跡への登り口です。)した約50m先が塔尾神社です。 |
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訪城備忘録 | |||
塔尾神社の右手約60m先、道が90度になってる反対側に獣除けのゲートのある山道の入り口がありますのでここに入ります。山道は丘陵上まで一直線の道で石段跡のように石がありました。比高で20mほど登ると尾根で奥は墓地になってましが、登り切る手前右手が少し開けていて、そちらに入ります。すぐに主郭(寺跡)の切岸の壁です。ここを切岸沿いに進みます。<空堀の中を歩いていることになります。> 少し行くと正面に切岸が横たわりますが、登ると土橋でした。寺跡側が土塁が巡っていて、平虎口が土橋に先にきれいな形で開いています。郭内は夏草が背丈ほどあるのでとても探索はできずあきらめましたが、後で資料を見ると土塁は虎口のある面だけにあるようで、この主郭(寺跡)以外には郭はないようです。主郭前の土橋は幅もあり、長い土橋でした。なかなか立派です。遺構としてはこのくらいですがお気軽には見られる遺構でした。 |
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越前の一向一揆拠点として藤島に超勝寺(藤島城)がありましたが、永正三年(1506年)、五代実顕の時に朝倉氏に敗れ、加賀に逃れ塔尾超勝寺を創建したとされます。その後の大永五年(1525年)に林超勝寺などに移り、永禄十年(1567年)、朝倉氏と和睦し藤島に復帰しました。 |
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