美濃 | 八坂山城 |
ファイルNo4058 |
@ やさかやまじょう |
道案内 ←登城口 | |||
東海環状道の美濃加茂インタで下り、国道41号線バイパス(美濃加茂バイパス)を北上します。約5.6km先、国道418号線との分岐(国道41号線旧道<現県道371号線>との合流地点、新山川橋北詰の信号<川辺漕艇場北の信号>)の地点で県道371号線に右折します。約800m先、中川辺北の信号で、そこから約200m先で右折し県道80号線に入ります。約500m先で国道41号線の高架をくぐります。約300m先、坂を上ってやや右カーブの先の左手が大谷公園で、右手が駐車場です。駐車場の端に城跡への登城口があります。 国道41号線バイパス、新山川橋北詰の信号<川辺漕艇場北の信号>)の約2km手前のスロープを下りると県道80号線になります。 |
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訪城備忘録 | |||
大谷公園の駐車場の右手を登ると八坂山(城)、左手を登ると大谷山になります。右の登城道を登って行くと中腹の御嶽神社が出丸跡とされます。 その手前に「旗本大島備後守」の碑があります。出丸の奥から斜面の坂を登ると主郭です。主郭は東西に長い郭で、東側半分は二段になってます。東端からは眺望がいいです。この東側の上段や段差には石積みがありますが、城跡の遺構ではなく、昔、神社か何かがあった跡のように見えます。北側には井戸があるようですが見逃しました。二段目の西端(主郭全体の中央)がさらに盛り上がっていて「八坂山」の標識があります。西側は広い平坦地ですが、北側が土塁状になっていて「八坂山城」の標識が立ってました。この北側下が窪んでいて、虎口にも見えます。その他には遺構らしきものはないです。 |
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南北朝期、北朝方の城であったようですが、詳細不明です。 この城跡の中腹の碑にある大島氏は、戦国期、織田信長に従い、迫間城の城主であったとも言われます。関ケ原の戦い後、大島氏は旗本としてこの地を治め、江戸期を継承したようです。 |