飛騨 / 梨打城



ファイルNo1091

江馬氏終焉の城

                                    主郭切岸(土塁)  

@ なしうちじょう 
  別名 梨内城

A住所:高山市国府町桐谷〜八日市・漆垣内
     旧:吉城郡国府町
B目標地点:菅原神社

C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・虎口・土塁・碑
G時代/人物: 戦国期/江馬氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  神社より30分


J撮影・訪問時期:2005年11月

  

道案内  ←登り口  

高山市内より国道41号線にて飛騨市方面へ進みます。国府町広瀬の信号を右折し県道76号線に入ります。3.5Km先で県道は左折します。500m先(八日市のバス停)で橋を渡り、川沿いに左折しすぐに右折すると菅原神社の鳥居に至ります。城跡には本殿西側のお堂(観音堂)の裏手に廻り、左手の尾根に登り尾根筋をひたすら30分ほど登りますと城跡です。

訪城コメント

最初は菅原神社の西にある日枝神社からの方が登りやすいとの情報であったのでここより登ろうとしましたが、本殿裏手は11月でも下草が多く道を見つけることができませんで、ここより登ることは断念しました。菅原神社の戻り、本殿裏手の谷筋を登り出しましたが、これも道としては間違いでした。上記の道案内の通り本殿ではなくお堂の裏手から尾根に上がって進むのが正しいようです。谷筋は途中で道が無くなり、しかたなくそこから直登をして尾根まで登りました。山頂手前で南側の郭に至ります。城は主郭を中心に三本の放射状に郭を延ばし、南側の郭は細長い郭で周囲に低い土塁が巡ります。また、西側の真ん中に虎口と思われる開口部があり石積みの痕跡のような石が何個か見えます。西側の郭は、先端に堀切があり、両端は竪堀と連結しています。また、この堀切の真ん中の外側に竪堀が2条あり敵の横移動に備えています。東の郭は、こちらも細長い郭で先端に堀切があり両端は竪堀は連結していますが、この堀切の南側はL字に折れ、東の郭を少し巡る感じて伸びた後、竪堀に落ちています。主郭の切岸は、明瞭で主郭内は低い土塁が巡り、西側が分厚くなっており櫓台のようです。西・東・南の郭ともに郭内に段差が何段かあり削平は甘い感じでですが、これは資料には臨戦の城で短期間に築城されたためとの事です。しかし、結構な山中の中、熊さんが飛び出しそうな雰囲気もありますので、登城には充分な注意が必要と思います。

西の郭との堀切
歴史

高原諏訪城を本城とした江馬輝盛は上杉謙信に従っていましたが、謙信が死去したため自立せざるをえない状況となり、三木氏との最前線となるこの城が築城されたもののようです。天正十年(1582年)に三木・小島連合軍と戦いますが敗れ輝盛は討ち死にし高原諏訪城とともに落城し廃城になったと考えられます。


    東の堀切             東端の堀切(横から)

東端の堀切土塁             東端の竪堀

  南の郭虎口            南の郭の先端土塁

  
      麓の城址碑            登り口の観音堂(左手の尾根を登って行きます)

近くの城・関連の城:高原諏訪城  広瀬城