飛騨 / | 広瀬城 |
ファイルNo0420 |
見事な畝状竪堀群が残る。
@ ひろせじょう |
道案内 | |||
高山市内より国道41号線にて飛騨市方面へ進みます。国府町名張の信号を左折し300m先で県道471号線に突き当ります。県道沿いのやや左側に広瀬城の案内板があり、そこより山側に入ります。道を少し進むと旧の県文化財保護センターの所に至り、このセンターの事務所と倉庫?の間にある小道を進み裏山に登ると城跡の二の郭です。(センターより先に上ると水道施設があります) |
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訪城備忘録 | |||
初訪城時は、水道施設側に行ってしまい、瓜巣名張峠の方から直登となってしまいました。主郭西側の深い堀切を越え主郭下から城跡に入りました。堀切を越えたとたん、郭下に放射線状に幾十もある明瞭な畝状竪堀にまずは感嘆の声を上げてしまいました。 篠脇城の畝状竪堀(臼の目堀)に比べ、一本の竪堀は幅・深さはやや規模が小さいかもしれませんが、明瞭さという点では夏場であっても下草も少なく本当に驚くほどしっかりとした遺構です。主郭がどれなのか判明してないのかもしれません。便宜上、畝状竪堀に囲まれた西側の郭を二の郭、東側へ主郭・三の郭とし、その順番で進みましたが、各間の堀切は深さ・規模・明瞭さともにすばらしいものでした。2005年に再訪しましたが、三の丸周辺の木々が伐採され、さらに見学しやすくなっていました。前回はわからなかった三の丸北側の畝堀や堀切も綺麗に見えます。 2019年に再訪しました。また間違えて水道施設手前で左に廻り、斜面を直登してしまいました。西側の堀切はきれいに整備されていました。二の郭周囲の畝状竪堀は今も明瞭で何度見てもいいですね。木々も昔に比べ間伐されている感じに見えます。その逆に三の郭周辺は下草が伸びて畝状竪堀は見えませんでしたし、堀切も草木が邪魔をしてました。 |
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高堂城を本拠とした広瀬左近将監利治が築城したと伝えられます。広瀬山城守宗城の家臣の田中与左衛門(筑前守)が守将としてこの城を守備したとあるようです。 天正十一年頃(1583年)に宗城は三木自綱に謀殺され城は三木方の持城となります。天正十三年(1544年)に金森長近が飛騨に侵攻し広瀬城も落城しました。金森氏に従っていた宗城の子の宗直は、金森長近の飛騨侵攻に従い飛騨に入りますが、同年、宗直は処遇を巡り長近と争い追放されたようです。この頃、城は廃城になったと考えられます。 |
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