道案内 ←城跡 |
高山市内より国道41号線で来ると、飛騨市古川町の古川消防署前(飛騨警察署そば)から国道をさらに2.1Km進みむと中野の信号で、ここよりさらに3.5Km神岡方面に進むと鷹利橋(野口)の信号で左折し橋を渡り県道75号線に入ります。県道75号線を道なりに進み1.5Km先の信包集落内で斜め左手の県道479号線に入ります。700m先の左手に恵比寿神社があります。鳥居のところで左折し、殿川を赤い橋で渡ると正面が本殿ですが、この左側の小道を300mほど進むと左手に工場のような建物が二区画ありますが、2019年再訪の際は建物は取り壊され跡地になってました。この真ん中に柵のゲートがあります、ここを入ります。左手に50mほど戻り山に入ります。尾根先端に登り、あとは尾根伝いに登ります。いたるところにピンクの目印がつけてありますのでこれを目印に山頂まで登ります。
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訪城備忘録 |
道といっても急なきつい斜面から尾根道を登ります。城跡は山頂に尻尾を上げた犬のようが形(あるいは四足恐竜を横から見た感じ)で配置されています。郭は西側と東側に大きく二つに分かれていて西側の郭は旧城と伝えられます。西側の郭の南尾根(麓より登って来た時に最初に入る場所)には段郭と先端には堀切があります。また、西側には畝状竪堀があるようですが当日は疲れてしまい見に行きませんでした。東の郭は主郭を中心に一段下に副郭があり、この二つの郭を巡るように帯郭があります。主郭には祠があり、小さな城址碑が立っています。ここも南の尾根に堀切がありますが、西側の堀切より規模も大きく深く明瞭です。さらに東に大きな段郭が斜面に5〜6段続き、先端は堀切で処理されています。整備はされていないので遺構が草木に埋もれている箇所が多く、小鷹利城の後に訪城した事もあってなにか消化不良のような訪城になってしまいました。
2019年に再訪しました。城域に案内板などはありませんが、前回に比べ主郭などは綺麗になってました。今回は畝状竪堀を見てきました。広瀬城のような大規模では無いですが、なかなか明瞭で残ってます。
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説明板(背後が城山の先端)
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築城時期は定かではありませんが、姉小路氏は家綱が南朝より国司に任命され信包城(向小島城)に居城しました。その後、応永十二年(1405年)頃には姉小路氏は三家に分裂しており、ここはその内の向氏の居城となりました。永禄六年(1563年)に向貞煕が没したため当主が幼主となった事で重臣の牛丸氏が実権を握りましたが、天正十一年(1583年)に三木自綱に攻め滅ぼされたと伝えられます。
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