美濃 揖斐川徳山城



ファイルNo1070

         主郭背後の堀切

@ とくやまじょう 
  別名  

A住所:揖斐郡揖斐川町徳山本郷
    旧:揖斐郡藤橋村

B目標地点:徳山ダム本郷望郷広場
C形式:山城  D比高:10m<しろびや杉から> 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・説明板・碑
G時代/人物: 南北期/徳山氏 
H満足度:
凸+☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分


J撮影・訪問時期:
2005年10月・2017年11月

  

道案内 ←本郷望郷広場   ←「しろびや杉」  ←城跡

大垣市内の国道21号線の河間の信号で右折し国道417号線を進みます。国道417号線を道なりに進み14Km先、揖斐川を越えた先の上新町の信号で左折し国道303号線に入ります。12.5Km先の横山ダムで国道303号線は左折、直進は国道417号線でこの国道417号線を進みます。横山ダムから8Km先に藤橋城があり、さらに4Km先に徳山ダムがあります。このダムからさらに進みます。道なり3.2km先が右手県道270号線ですがさらに道なりです。ここから600m先が本郷カンタク隧道というトンネルでこの長いトンネルを出たらすぐに左折した先が本郷望郷広場です。ここには駐車場があり、ここより遊歩道を進みます。

訪城備忘録

2005年訪城時はダム完成前(完成は2006年)で断念しました。 今はダム湖が広域に広がっていて、ダム湖周囲の道からダム湖を望める望郷広場が各所にあります。その中の本郷望郷広場から遊歩道がダム湖沿いに続いており、城跡の二の郭にあたるところにある「しろびや杉」と呼ばれる一本杉まで続いています。この杉は樹齢600年の一本杉(しろびや杉)で、ダムが完成すると水位がその根元近くまで達するので枯れてしまう心配がされましたが、とりあえずは生き残ってました。「しろびや杉」のところの尾根側に木の階段があります。ここを登ると主郭です。主郭は20m四方くらいで背後にやや高めの盛り上がりがあり櫓台のようです。櫓台の盛り上げりの箇所の大きな木の周囲にスズメバチの巣がありそうです。キイロスズメバチが数匹飛んでました。その櫓台の背後には深い堀切があり、両サイドに竪堀が落ちてます。スズメバチを避けながら左手斜面から堀切に回り込みました。堀切の先の尾根上にも郭風の平坦地がありましたが遺構かは?です。いずれにしても「しろびや杉」の所以外は薮化してますが、主郭の大木の下に城址碑がります。居館はダムに沈んだ旧徳山村内にありました。今はダム湖がきれいでした。

城址碑
歴史

徳山氏は坂上田村麻呂の子孫の貞守が貞観年間(895〜877年)に美濃権守に補せられ徳山郷を領して徳山氏を名乗ったのが始まりとされるそうです。32代の金吾貞信の時、南北朝の南朝方は堀口美濃守を中心とした西濃の南朝方城砦群を形成しますが、貞信も延元二年(1337年)に徳山城を築き南朝方として越前の新田義貞に呼応しました。戦国期には天正十一年(1583年)に賤ケ岳の戦いで柴田勝家方に従い、豊臣氏時代は衰退しましたが、江戸期は5千石の旗本としてこの徳山郷と現在の各務原市に陣屋を構え、明治まで続きました。

二の郭にある「しろびや杉」     主郭          
徳山ダム周辺図(徳山会館より)
遊歩道より城跡遠望
徳山会館より城跡遠望
  
主郭背後の堀切
主郭背後の堀切
二の郭にある「しろびや杉」
主郭にある城址碑
「しろびや杉」そばから見るダム湖
徳山ダム
本郷望郷広場から見るダム湖

近くの城・関連の城:藤橋城 徳山氏更木陣屋