美濃 野口館



ファイルNo0456


             北側土塁と堀(2025年)               

@ のぐちやかた 
  別名 安積館

A住所:各務原市蘇原野口町  
B目標地点:蘇原一小

C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:個人宅

F遺構等:郭・堀・土塁

G時代/人物: 戦国期/安積氏 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  小学校から5分


J撮影・訪問時期:
2004年08月・2015年10月
          2025年07月

  

道案内 

国道22号・21号・国道156号の交差する岐南インタの信号から国道156号線を進み、2.7Km先の北一色1丁目の信号で右折し県道92号に入り、北一色8丁目の信号で斜め右に曲がり県道205号線に入ります。2.5Km先が東海北陸高速道のガード下です。2.2km先の大島町の信号では県道は曲がりますが、そのまま直進します。ここよりさらに2.1Km先、蘇原古市場の信号で右折し、蘇原第一小学校を過ぎたところで左折して学校の裏手(東側)の個人宅です。
 
訪城備忘録

70m四方で高さ2mほどの土塁が周囲を巡ります。北側から東側には明瞭に空堀も残ります。また、南側の門は通称「安積門」と呼ばれていて加納城の門の移築と伝えられる門でした。2008年に各務原市に寄付され、中山道鵜沼宿町屋館(各務原市鵜沼西町1丁目)に修復移築されました。鉄板が扉一面に張ってあるめずらしい門ですが、解体調査の結果、加納城ではなく、大垣城の門であったと判明したとの事です。

2025年06月の新聞に野口館が消滅との記事が出ました。ご当主が高齢になられて維持が出来なくなったため、土地を不動産会社に売却、今後、整地し開発されるようです。市が購入も検討されたようですが、2億円を越えるため断念したとの記事でした。

2025年07月消滅前にもう一度見ておこうと思い行ってみました。敷地内の建物はすでに無くなっていて、土塁や堀の木々は伐採されてました。敷地内は立入禁止も規制線もないので、入らせていただきました。りっぱな土塁が巡り、外側の空堀もしっかり残っています。消滅するのは残念ですねぇ。今回で三回目の訪城でした。ほぼ10年ごとになりましたが、20年の変遷を感じてしまいますねぇ。

2004年当時の虎口土塁
歴史

築城時期。築城者は定かではないようです。ただ、戦国期より安積家がお住まいだったようです。安積家は戦国期は土豪で、江戸期は大庄屋であったとの事です。2025年現在のご当主で19代目との情報です。(新聞記事・城友よりの情報)

2004年当時の堀と土塁
2015年当時の北側土塁と堀
野口館にあった門
2004年当時・野口館(個人宅)に建っていた頃の移築門
2004年当時・野口館(個人宅)に建っていた頃の移築門
2015年訪問時・中山道鵜沼宿町屋館に移設された移築門
2015年訪問時・中山道鵜沼宿町屋館に移設された移築門
鵜沼宿の江戸期商家
2025年07月の状況
門前(虎口)から館全景
門(虎口)右手の高い土塁
門(虎口)左手の土塁
左手土塁
北側土塁
南側土塁
東側から南東角・南側土塁
南側土塁
南から東側土塁と堀
北側土塁と堀
道路から東側土塁

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