美濃/ 加納城



ファイルNo0468

                            

@ かのうじょう 
  別名 

A住所:岐阜市加納町丸の内
B目標地点:加納公園・加納小学校
C形式:平城  D比高:−−m 

E現況:公園・学校・宅地

F遺構等:郭・石垣・土塁・堀・説明板
G時代/人物:室町・江戸期/斉藤氏
           ・徳川氏(奥平氏)
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:
2004年04月・2015年01月
            2023年06月 


  

道案内 ←駐車場

名古屋から岐阜方面へ国道21号線へ来ると、茜部本郷の信号を右折し国道157号線に入ります。1.5Km先の信号を右折し県道1号線に入ります。300m先を左折した先が加納公園になります。本丸手前右手が駐車場になってます。
 
訪城備忘録

本丸は一辺200mほどある方形で周囲を高さ3m〜5mほどの土塁が巡り圧巻です。その外側は今は広場・公園になってますが内堀です。土塁の本丸北側の面(今は公園の入口がありますが、往時には虎口には無い)、本丸南側臆病門の東側、桝形虎口の外側などは土塁の上部まで石垣が築かれていますが、本丸西面、本丸南側臆病門の西側、本丸天守台の隅石垣は腰巻石垣になっている感じです。本丸内は石垣は底部に若干ありますが、基本は土塁です。東側に大きな出っ張りは大きな桝形虎口で本丸から桝形に入り左に曲がり、筋鉄門を越え、極楽橋を渡り、二の丸に繋がると言う構造です。

本丸の北側の加納小学校周辺は旧二の丸で気象台の北側にも石垣が残ります。これは三階櫓跡です。ここの石垣はチャ−ト材を使った大石を使った野面積みで、古式な感じではありますが、本丸の規模の大きさは徳川氏の力を感じます。

南大手門跡は路地にある民家のガレージ前に碑がポツンとあるだけでした。
江戸期の初代藩主の奥平信昌、亀姫夫妻の墓は近くの寺にありますが、寺は拝観お断りでした。

説明板
歴史

文安二年(1445年)に守護代の斉藤利水が築城したとされます。この城は戦国期前期には廃城となったものと思われます。関が原の戦い後、徳川家康は岐阜城に替わる城として加納城を築城し、慶長六年(1601年)に奥平信昌を10万石でここに封じました。その後、大久保氏・戸田氏・安藤氏と城主が代わり、永井氏が入り明治を迎えました。

本丸西南隅石垣      桝形虎口外側石垣
現地説明板より
本丸内
本丸石垣
  
本丸南西隅石垣    本丸桝形虎口
本丸西側石垣
本丸隅石垣    二の丸石垣
  
天守台<冬場>
天守台<夏場>
本丸内と土塁
本丸から桝形虎口土塁
桝形虎口土塁
本丸北面西側石垣<冬場>
本丸北面西側石垣<夏場>
天守台下隅石垣
本丸北面東側石垣
本丸西面石垣
本丸南面東側石垣
本丸桝形虎口外側石垣
本丸桝形虎口外側石垣
本丸桝形虎口外側石垣
本丸桝形虎口外側と内堀跡
二の丸石垣(御三階櫓・相当にセメントで固められている)

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