美濃 / 大垣城



ファイルNo0497


                            復元天守

@ おおがきじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 大垣市郭町 
B目標地点:大垣公園
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・宅地

F遺構等:石垣・復元天守・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期・江戸期/宮川氏・石川氏
H満足度: 凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  もよりの有料駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2003年06月

  

道案内  

岐阜市より国道21号線で来た場合、大垣市内の楽田町の信号で左折し国道258号線に入ります。3.6Km先の中電前の信号で右折し県道237号線に入ります。600m先右手が大垣公園です。
 
訪城コメント
天守石垣

戦前まで国宝であった天守も戦災で燃えてしまったため、現在は復元天守が建ちます。城域の大半が市街化され本丸周辺が公園として残るのみのため 魅力はいまいちです。

現地案内板より
歴史

天文四年(1535年)に土岐氏一族の宮川安定が築城し、永禄二年(1559年)に氏家直元が拡張したとされます。天正十三年(1585年)に一柳直末が城主となり天守を建てました。天正十八年(1590年)以降は伊藤祐盛が城主となり、子の盛宗の代に関が原の戦いを迎え、盛宗は西軍に付き大垣城は西軍の拠点となりますが、盛宗は関が原の戦い直後に東軍に攻められ敗死しました。慶長六年(1601年)に石川康通が入り、慶長十八年(1613年)に三代石川忠宗が大垣城を完成させました。その後、松平(久松)氏、岡部氏、再び松平(久松)氏の後、寛永十二年(1635年)に戸田氏鉄が入封し戸田氏が明治維新まで続きました。


復元西門                  復元東門

  

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