信濃/ 龍岡城



ファイルNo0973

   水堀

@ たつおかじょう 
  別名  

A住所:佐久市田口
    旧:南佐久郡臼田町田口
 
B目標地点:田口小学校
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:学校・田畑・宅地

F遺構等:土塁・石垣・水堀・御台所・碑・説明板
G時代/人物: 江戸期/(大給)松平氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2005年08月

  

道案内 

上信越高速道佐久インタを下り、料金所を出て右折し700m先の佐久インタを西の信号で左折し国道141号線に入ります。約9Km先の跡部の信号を越えます。<国道142号線(国道254号線重複区間)との交差信号> さらに7.5Kmほど国道141号線を南へ行きます。城山の信号のひとつ手前の信号で左折し県道93号線に入ります。(城山とは国道の左手に見える小山が稲荷山城のためです) 400m先で千曲川を越え、さらに400m先でうすだ駅前で左折します。県道はすぐまた右折で踏み切りを渡り、道なりに800m先で雨川を渡ります。橋を渡ると右手に竜岡城(現田口小学校)の石垣が田んぼの向こうに見えてきます。川を渡って右折し進みます。
 
訪城備忘録

信州の五稜郭として有名な城です。幕末に洋式城郭を目指して築城されたものですが、未完成部分もありますし、堀の幅も5mほどしかなく実戦として使えるのかどうかでしょうが、函館のミニチュア版を見る感じなんでしょ。 星の形をしているからあたりまえなのですが、堀の屈曲がなかなかおもしろいです。 城内は田口小学校になっていますが、建物としては位置を移動し御台所が現存しています。

大手門
歴史

松平氏三河奥殿藩は信州田野口に1万2石と三河の4千石を領して、三河奥殿に陣屋を構えていました。松平乗謨の時に田野口に移り、文久三年(1863年)より築城を開始し慶応三年(1867年)に完成したものですが、明治五年には取り壊されました。
大手門付近の堀      東側の堀
御台所(元の位置から移動してます)   西側の堀
  

近くの城・関連の城:奥殿陣屋 大給城 田口城