信濃/ 箕輪城



ファイルNo0963


                            土塁と堀

@ みのわじょう 
  別名  −−−−−

A住所:上伊那郡箕輪町中箕輪  
B目標地点:養泰寺
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:寺・墓地・山林

F遺構等:郭・堀・土塁
G時代/人物: 室町期/箕輪氏 
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  養泰寺から5分

J撮影・訪問時期:2005年08月

  

道案内 

中央高速道伊那インタを下り、県道87号線で伊那市内へ進みます。2.2Km先の御園の信号で左折し1.2km先の神子柴の信号で国道153号線に入り北上します。(途中、箕輪木下南部の信号で国道153号線は旧道と新道に分かれますが直進して旧道を進みます。) 神子柴から5Km先の木下の信号手前50mで左折し養泰寺に向かいます。養泰寺本堂裏手の墓地周辺が城跡です。

 (あるいはインタから800m先の駒美の信号で左折し県道88号線に入ります。約5Km先の信号を右折し1.5km先の木下の信号で右折し50m先の路地に右折して養泰寺に向かいます。こっちの方が空いていて走りやすいです。)
 
訪城備忘録

養泰寺の裏手段丘上に墓地があり三方を高さ2mほどの土塁が巡り、西側土塁の外側には明瞭な空堀が残り、南側には堀と接続し段丘を遮断でう堀切が認められます。

歴史

築城年代・築城者は定かではないようですが、室町期に箕輪氏の居城であったようです。その後、福与城の支城となり藤沢氏の一族が在城したようですが天文十四年(1545年)の武田信玄の侵攻で落城したようです。江戸期、飯田城主脇坂氏時代(元和三年(1617年)〜寛文十二年(1672年))にその領地として木下陣屋が置かれ代官として加集氏が入り3代続きました。加集氏の墓がこの墓地にあります。

  

近くの城・関連の城: 福与城 上ノ平城