信濃 / 上田城



ファイルNo0396

現存の三基の櫓、本丸の堀は重量感があります。

                               堀越に本丸を見る

@ うえだじょう 
  別名 尼ヶ淵城 真田城

A住所:上田市二の丸 
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:20m 
E現況:公園・宅地

F遺構等:現存櫓・復元門・堀・土塁・石碑・説明板
G時代/人物:戦国期/真田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  尼ケ淵側の有料駐車場より10分

J撮影・訪問時期:2002年05月

  

道案内 

国道18号線旧道としなの鉄道・長野新幹線に挟まれた地域、上田駅より北西へ800mほどのところです。国道18号線旧道中央1丁目の信号で上田駅側から来ると左折してすぐです。

上信越自動車道の上田菅平インタから国道144号線に入ります。2.8km先、中央東の信号で右折し国道18号線に入ります。2km先、上田城跡公園入口の信号で左折します。 1km先が大手1.2丁目の信号で右手が城跡です。車はさらに600m先、天神2丁目の信号を右折し、800m先くらいが駐車場です。

訪城記録

現存3つの櫓(西櫓・南櫓・北櫓)、本丸の三方に残る水堀、尼ケ淵の石垣、二の丸石垣など見応え有る城です。真田氏で有名な城ではありますが、真田氏が松代に移ってからいったん徹底的に破城されたもので、現在の城は仙石氏時代が基礎となるものです。

本丸内堀
歴史

真田昌幸によって天正十一年(1583年)より築城を開始し天正十三年(1585年)に完成したものです。天正十三年と慶長五年(1600年)の2回にわたる徳川氏との合戦に耐えました。関が原の合戦後、昌幸と信繁(幸村)は和歌山県九度山に流罪とされ元和八年(1622年)、真田信之は松代に転封になり、上田城は徳川氏の手によって徹底的に破壊されました。寛永三年(1626年)、仙石忠政が信州小諸から入封し、寛永三年〜五年(1626〜28年)にかけて現在見る城に築き直されました。仙石氏は本丸に七つの二階隅櫓と二つの櫓門を建てましたが、忠政病死で城の作事は未完に終わりました。宝永三年(1706年)に三代、仙石政明が但馬出石に転封となり、入れ替わりで、但馬出石より松平忠周が五万八千石で入り、松平氏が明治維新まで続きました。三つの現存櫓(西櫓・南櫓・北櫓)で西櫓は寛永当初からのものですが、他の二つは明治時代に民間に払い下げされ市内にあったものを修復し現在の地に再移築されたものです。 <現地案内板を補則  上田教育委員会>


西櫓

現地説明板より

  
南櫓                 復元東虎口櫓城門
北櫓                       南櫓
二の丸石垣                   本丸内
南櫓
内堀
内堀

近くの城・関連の城: 真田氏居館 岡城