道案内 |
松本城・松本市役所近くの国道143号線城東2丁目の信号から国道67号線で東に向かいます。2.3Km先の兎川寺の信号で右折し県道297号線に入り南下します。700m先で薄川の金華橋を渡ります。この橋より600m先の林集落で左折しI酒造という酒造メーカーの前を通りすぐに左折します。酒造メーカーの倉庫がありここで左手側の山裾に民家が4軒程度建っています。この民家と山裾の間に山道がありますのでそこから登ります。(山の西側から登ることになります。) <現在は登城口の標識があるようです。> なお、林大城と小城に囲まれた谷の部分(林小城の東側麓)にある里山辺5000番地付近に林小城の説明板があります。 前はここからは登れなかったんですが、現在は道が作られ登れるようです。
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訪城備忘録 |
下記記録は2004年当時のものです。
山道はすぐにわからなくなりました。まっすぐ見上げると巨大な竪堀のようなものが斜面に有ります。道が切れたところの左手は藪ですが、山道はこの藪に入って迂回するように山頂に続いているものと思います。竪堀風の斜面を直登してしまいました。約100mの直登はこたえました。しかし、見上げて山頂の稜線が見えるような感じでとても藪に入る気にはなりませんでした(^_^;) ひたすら直登しましたら主郭南側の堀切に出ました。ここを左手(北側)へ進みますと主郭です。主郭は尾根斜面を削り込んで作られているようで南側に高い土塁があります。主郭内に段差があり高い土塁側の南側が一段高くなっていますが、理由がわかりません。主郭下の東側から北側にかけて石垣が続きます(鉢巻状石垣)。北側には副郭があり主郭との高低差は7m程度あります。その先北側には第三郭が続きます。大城より城域は小規模ですが石垣の残存はいいです。
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主郭の朽ち落ちた城址碑
現在は案内板や標識は整備
されているようです。
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7代小笠原清宗の時代(永享から嘉吉年間<1440年前後>)に林(大)城を築城し井川館より移りました。但し、林小城は大城より後に築かれたものではないかと考えられます。天文十九年(1550年)の武田氏侵攻で埴原城が落城した時点で大城やその他も城とともに自落し、小笠原氏は退去しました。
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