東三河/ 山本勘助生誕地



ファイルNo1451

                            生誕地の碑

@ やまもとかんすけせいたんち 
  別名 

A住所:豊橋市賀茂町出口 
B目標地点:賀茂小 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:畑 

F遺構等:碑
G時代/人物:戦国期/山本氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2006年05月

  

【道案内】 

東名高速道豊川インタを下り、豊橋方面に信号2本目の県道499号線を左折し、1.5Km先で豊川を渡り、600m先の左手集落の路地の奥まったところに生誕地碑があります。(集落の一番手前を左折し、すぐの路地に右折し200m先の左手)
 <豊川の橋から900m先が賀茂小学校で、さらに300m先が県道69号線との交差点の賀茂町の信号です。> 賀茂神社は賀茂町の信号をさらに直進して600m先の路地に左折した突き当たりです。



【現況・訪城記録】

賀茂の集落は各家が高い茂みに囲まれています。生誕地碑の路地の横にあるのですがこの茂みで道からすぐに見えません。 賀茂神社は花しょうぶで有名で、毎年5月末から6月半ばまで「花しょうぶまつり」が開催されます。城と花はお似合いですが、城おやじと花は不似合いですな・・・^^;


【歴史】

山本勘助の出目については駿河説、三河説などありますが、三河説では明応九年(1500年)に八名郡賀茂村(現:豊橋市賀茂町)に山本藤七郎の三男として生まれ、幼名を源助と言いました。十五歳の時に牛久保牧野家の家臣大林勘左衛門の養子となり大林勘助貞幸と名乗りました。二十六歳で諸国漫遊に出て、三十六歳で戻って来ましたが大林家に実子が出来ていたため、養家を離れ関東に出て、四十五歳の時に武田信玄に仕えたとされます。永禄四年(1561年)に川中島にて討死しています。勘助と親交があった長谷寺の念宗和尚が死を悼み遺髪を納め墓を建てたとされます。 <豊川市牛久保の長谷寺にある山本勘助の墓の現地案内板より>

  
賀茂神社の花しょうぶ
  
賀茂神社本殿
     
  

近くの城・関連の城:照山城  牛久保城