東三河/ 大野田城



ファイルNo0136

郭を二重の堀が囲む

       主郭土塁

@ おおのだじょう 
  別名 中市場城・浄古斉砦・新城今城

A住所: 新城市野田中市場 
B目標地点:中市場の信号
C形式:平城  D比高:ーーー 
E現況:雑木林・畑地

F遺構等:空堀・土塁・説明板
G時代/人物:室町期〜/富永氏〜城所氏〜菅沼氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2003年02月 他

  
北側の堀

【道案内】 

野田城側から来ると中市場の信号を越えて(野田城側から来ると野田西の信号を右折しYゴムの工場を過ぎ、中市場の信号右折)50mほどの右側が調整池となっています。そこに大野田城の説明板があります。城跡は調整池の奥、調整池の横の小道より奥へ入ります。



【訪城備忘録】

調整池の裏手で小道右側から適当に入ります。城跡は整備されていませんが、雑木林のなかに主郭土塁がはっきりわかり、平虎口も認められ、郭内に空堀があります。主郭土塁外側(貯水池とは反対側)に空堀も残ります。(郭内の空堀とで二重空堀を構成しているようです。)

後日、人に教えてもらったのですが、貯水池のフェンス沿いに城跡に入って行きますと、空堀上の窪みを越えて郭内に入りますが、この空堀を渡る前の右側、貯水池沿いに城址碑が立っています。


【歴史】
野田館の富永氏の出城として築かれたようです。野田菅沼貞盈(サダミツ)が野田城修復時にこの城に居城とした際に拡張し大野田城としました。長篠の戦い後、奥平信昌が新城城に入りましたが、一時期、大野田城も使用されているようです。天正期に水野氏が入城しました。(現地案内板より+資料) 


  
北側の堀の西側
  
城址碑
  
  

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