東三河/ | 西川城 |
ファイルNo0111 |
西郷氏の支城 平虎口が明瞭。 江戸期に陣屋としても利用された城
@ にしかわじょう |
道案内 | |
東名高速道豊川インタを下りて、国道151号線を豊橋方面に進み、インタから2Km先、五つ目ほどの信号の馬場町の交差点を左折し国道362号線を三ヶ日方面に進みます。2.5Km先で豊川を越え、さらに2Km先で県道81・31号線との交差の和田辻の交差点に至ります。(和田辻という交差点はこの県道との交差点より手前にもあるので注意) 県道81号線に左折し新城市方面に向かいます。3Kmほど走ると石巻萩平の信号に出ます。信号を左折して右手西郷小学校を過ぎて2Kmほど行った右手の大福寺の裏手にあります。 (あるいは近道としては、豊川ICを降りて国道151号線に出て、豊橋方面2つ目の信号の東名町1丁目(谷川町北)の信号で左折し県道499号線に入ります。1.6Km先で賀茂橋で豊川を渡り、1.2Km先の賀茂町の信号を過ぎ、道なりあと2Km先進んだ先でも出られます。) |
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訪城備忘録 | |
寺の正面より右手方向から裏手に廻ると平虎口の土塁と空堀の前に出ます。平虎口内の郭は雑木林となっていますが、大変広く、虎口の反対側にも土塁が認められます。平虎口の左手土塁の上を歩いて行くと栗林があり、ここは綺麗に土塁に囲まれた郭跡のようです。しかし、土塁が綺麗すぎて当時の遺構かはわかりません。これら遺構は戦国期というより江戸期の陣屋遺構かもしれません。 |
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歴史 | |
五本松城の西郷氏の支城です。西郷孫三郎種員(正勝?)・清員などが城主と伝えられます。 江戸期、寛永元年(1661年)吉田城四万五千石の城主となった小笠原長矩は弟 長秋に二千石を分知、長秋はこの地に陣屋を置いたものです。 |
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