西三河の城008  

                                                                               

寺津城  0567    大河内松平氏発祥の地
城址碑

② 西尾市寺津町 ③法照寺  ④平城
国道23号線江原より県道383号線を8Kmほど進み国道247号線との合流の寺津大明神の信号で左折し国道247号線を1Kmほど進んだ右手道沿いの法照寺に城址碑があります。寺の裏手には土塁が残るようですが見落としました^^;;

⑦遺構等:石碑  ⑧戦国期~/大河内氏  ⑨満足度:凸
永正年間(1504~1511年)の頃、大河内信綱が築城したとされます。最初、東条吉良氏に属しましたが、永禄四年(1561年)に三代秀綱・四代久綱は吉良方として松平元康(徳川家康)と戦い、主家滅亡とともに没落します。 四代久綱の弟の正綱は長沢松平氏に従い活躍し、その後に大河内松平氏となります。久綱の子の信綱は徳川家光の下で手腕を発揮し、松平伊豆守=知恵伊豆と称されました。

⑪訪城:2005/11
  
上永良古屋敷(永良村古屋敷)  0566  加藤嘉明生誕の地
加藤嘉明生誕の碑
② 西尾市上永良町 ③神明神社  ④平城
国道23号線の駒場町の信号を岡崎方面へ曲がり県道42号を進みます。上永良の信号を左折し、広田川を渡り、上永良集落を北上します。集落の北側の神明神社近くが屋敷跡で加藤嘉明生誕碑があります。

⑦遺構等:類似碑  ⑧室町期/加藤氏  ⑨満足度:凸

加藤三之丞広明がこの地に住し今川氏に属しました。その後、松平好景の家臣となります。広明の子の左馬助嘉明は羽柴秀吉(豊臣秀吉)に従い、賤ケ岳七本槍のひとりに数えられ、関が原の戦い以降は伊予松山ー会津の太守となりました。


⑪訪城:2005/01
   
小島城  0304 
城山稲荷の碑
② 西尾市小島町 ③西方寺・A社工場 ④丘城
豊橋・蒲郡方面より国道23号線(バイパス)で来ると。西尾東インターで下り、右折し県道43号線に進みます。中島町の信号で左折し県道282号に入り、すぐの東浅井町の信号で左折し県道479号線に入ります。郷西田の信号を右折すると工場敷地で本来ここが城跡です。信号を200mほど直進した右手に西方寺があり、ここに城跡から移された城山稲荷の碑があります。

⑦遺構等:類似碑  ⑧戦国期~/鷹部氏  ⑨満足度:凸

荒川城主荒川氏の家臣の鷹部屋鉾之助の居城と伝えられます。享禄二年(1529年)に松平清康に破れ落城しました。その後、天文五年(1536年)に松平広忠が室城の出城として修復し、山田七蔵重宗を守将として在城させ、永禄四年(1561年)以降は伊奈忠基・忠家・忠次が居城しました。



⑪訪城:2005/03