道案内 |
東名高速道音羽蒲郡インタを下り、国道1号線で右折し岡崎市内へ向かいます。4.7Km先の名鉄線本宿駅を越えたところの本宿町沢渡の信号を右折し国道473号線に入ります。6Km先が額田町月秋の信号で、そこより国道473号線をさらに10Km進み山を越え桜形地区に入ります。桜形で県道35号線の交差点で左折し県道35号線を進みます。2Km先の県道沿いに石垣が巡る「松下助十郎御先祖墓所」があり、ここが滝脇松平氏(麻生松平氏)の居館跡とされます。麻生氏の城は麻生のバス停で右折し乙川を渡り麻生公民館のところで左折しすぐまた斜め右の道に入ります。すぐ石段が右にありここを登ると中腹に墓地がありこの辺が麻生古城と考えられます。
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訪城備忘録 |
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城郭遺構ははっきりしませんでしたが、麻生地区各所に麻生松平氏の軌跡が残ります。阿弥陀寺には四代正忠の墓(長久手の戦いで蟹江にて討死)があり、県道沿いの麻生地区に入る橋のそばに松平乗清の墓があります。乗清の墓の先に松平氏の墓所がありますが、ここが麻生松平氏の居館だったようです。麻生古城は低い尾根先端に削平地があり、そこが城跡のようですが、城郭遺構らしいものは見当たりませんでした。
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阿弥陀寺
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<松下助十郎御先祖墓所> 麻生一帯は15世紀半ば頃、天野氏が勢力を持っていました。作手奥平氏が日近城を構えたため、これに対抗しこの地区への進出を目指した松平氏は長亭元年(1487年)に天野景孝を攻め、滝脇松平乗清の子の親正をこの地に入れました。(滝脇松平氏は松平氏四代親忠の子の乗清を初代とし麻生松平氏は親正〜清房〜正忠〜正勝と続きました) 麻生の居館はこの墓所周辺であったと推測されます。墓所には30基余の墓石が並びます。助十郎正勝はここの領主の最後の領主であり、麻生の松平氏は江戸期には静岡県静岡市(清水)の小島に陣屋を構え幕末まで存続しました。この墓所は元和三年(1617年)に家臣の小畑叉左衛門が建立したと伝えられます。 <現地案内板より>
<麻生古城>
麻生氏の居城とされますが詳細不明です。
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