西三河/ 日近城



ファイルNo0105


                            主郭

@ ひじかじょう 
  別名  −−−−−

A住所:岡崎市桜形町般興
    旧:額田郡額田町柳田
 
B目標地点:広祥院
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・説明板
G時代/人物: 戦国期/奥平氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  広祥院から15分


J撮影・訪問時期:2002年11月

  
道案内  

国道1号線本宿より国道473号線に入りひたすら北上、(または、下山あるいは作手より国道301号線より国道473号線に入り南下)形杢小学をすぎ、国道473号線と県道35号線分岐を県道35号に入ります。入るとすぐ左手に広祥院があり、裏手墓所に登城口あります。(国道473号線より林道で城跡裏手まで登ることもできるようです。)
 
訪城コメント

日近奥平氏の居城。見所は、主郭後方の堀切と大土塁です。広祥院より整備された道を登っていくと、三の郭・二の郭が左側につづき、主郭下の虎口を越えると低い土塁に囲まれた主郭に到達します。主郭は二段に分かれていて、また、8mほどの切岸になっており、主郭後方は堀切、その先は尾根を遮断するように大土塁が横たわります。大土塁の外側に堀切となるのでしょうけど、あまり明瞭に堀切という感じではありませんでした。

現地案内板より
歴史

作手奥平氏三代目貞昌が次男貞直を日近に配し、日近奥平氏初代となりました。貞直は今川氏に属していましたが、織田氏に属したため、弘治二年(1556)に日近の戦いがありました。この時は今川軍の攻撃に耐えましたが、半年後、雨山の戦いで本家(作手)奥平氏が今川氏に屈し、作手奥平四代貞勝により貞直は追放され、その後、日近城は本家作手奥平氏の支配となりました。<現地案内板より>

麓の広祥院の右手奥に「おふう」の墓、墓所に日近奥平氏の歴代墓所あります。「おふう=日近奥平氏二代目奥平貞友の娘。武田氏の人質であったが、長篠戦前に本家奥平氏は武田側から徳川方に寝返ったため、おふうと本家奥平氏の仙千代らは鳳来寺口で処刑打ち首された。それを乳母らが奪いここに埋めたとの事<現地案内板より>」

手前大土塁・右奥は主郭の切岸     主郭後方の大土塁との間の堀切
主郭切岸と帯郭                   二の郭   
  

近くの城・関連の城: 作手亀山城