西三河/ 岡崎城



ファイルNo0210

家康天下へ発進の城  江戸期岡崎藩本多氏五万石の居城

                            本丸北側の空堀

@ おかざきじょう 
  別名 竜城・竜ケ城

A住所:岡崎市康生町 
B目標地点:岡崎公園 
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:岡崎公園 

F遺構等:堀・土塁・石垣・復元天守・説明板
G時代/人物:室町期/西郷氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  岡崎公園乗用車駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2002年04月・2006年05月

  
復元天守

【道案内】 

矢作川の東側方向(伊賀川の東側)、乙川の北側で、国道1号線沿いの岡崎公園が城址です。名古屋方面から来ると、1号線沿いの岡崎公園駐車場には右折できませんので、いったん行き過ぎてUターンして来てください。また、桜の季節は乙川沿いは桜並木ですので車でその道に突っ込むと身動きとれなくなる恐れがあります。



【現況・訪城記録】

城址は南に乙川、西に伊賀川の合流点にあり、さらに西側には矢作川が流れていて、川が堀代わりになっています。その内側には南から東に内堀となる水堀があり、本丸北側には深い空堀が残っています。本丸の空堀は近世の城というより中世の城っぽさが残ります。本丸に復元天守、二の丸にあたる国道1号線側に復元櫓門が建てられています。徳川家康天下取り発進の城ではありますが、その歴史より、こじんまりとした小藩の城という感じはそれはそれでいいです。

城門が旧額田町の天野屋敷跡に移築されています。

【歴史】

康生元年(1455年)に三河守護仁木氏の守護代西郷稠頼(つぎより)が築きました。大永四年(1524年)に安祥城の松平清康は西郷氏を駆逐し岡崎城を本城として移ります。その後、清康の死(守山崩れ)、広忠の死と松平氏の家運は衰え、広忠の子竹千代(のちの徳川家康)は織田氏〜今川氏と人質生活を強いられ、その間岡崎城は今川氏の城代管理となります。永禄三年(1560年)に今川義元が敗死して、松平元康(徳川家康)は岡崎城に帰り自立し、三河を平定します。元亀元年(1570年)に家康が浜松城に移ってからは、子の信康が城主となります。天正十八年(1590年)の徳川家康の関東移封後は田中吉政が城主となり、関が原にて東軍に味方し筑後柳川に移封後の江戸期は、本多氏〜水野氏〜(松井)松平氏の歴代城主ののち、明和六年(1769年)に本多忠勝の子孫の本多忠粛(ただとし)が入り、本多氏が城主として明治を迎えます。(岡崎は五万石)

  
本丸西側の空堀
  
石垣
     
  

近くの城・関連の城:岩津城 安祥城 山中城 幸田大草城 五本松城

          

本丸東側の水堀