伊賀 小竹氏城



ファイルNo3945


              主郭南下堀切              

@ こたけしじょう 
  別名  

A住所:伊賀市種生(たなお)
    旧:名賀郡青山町

B目標地点:安楽寺
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀
G時代/人物:戦国期/小竹氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  8分

J撮影・訪問時期:2023年06月

  

道案内 

亀山市より名阪国道(国道25号線)で来ると、伊賀(上野)市の上野東インタで下り、国道422号線を名張方面に進みます。約12Km先の国道165号線との交差点の青山羽根の信号で直進し木津川を渡り、県道29号線に入ります。約5.8Km先で県道691号線に右折します。約1.7km先、右手に安楽寺のあるところを左折し兼好塚方向に進みます。約200m進むと右手に細い登り道(普通車程度は入れます)があり、そこに進みます。すぐに切通しになり、この右手奥が城域です。
 
訪城備忘録

切通しを越えた先の右手から斜面を登ります。そぐに堀切のような形状と西側に空堀のような形状がありますが遺構というより昔の道と切通のように見えます。尾根はフェンスがあって入れません。細い尾根上で堀切状側に土塁のような盛り上りがありました。フェンス沿いの少し進むと主郭下の堀切です。深い堀切で、東側へ堅堀として鋭く落ちています。しかし、ここも昔は道として使われていたのかもしれません。堀切から上に登ると主郭土塁です。土塁は二段になっている感じに見えます。土塁の東側下の主郭の一角には神社がありました。土塁の西側には土塁に沿って空堀が明瞭に残っています。空堀は土塁とともに西側から北側に回り込んでます。

登城口の切通
歴史

北畠氏の家臣の小岳(小竹)周防守(小竹頼盛)が築城し、この地の寺社奉行として活動したようです。小竹氏は代々周防守を名乗ったようです。天正伊賀の乱では近隣の泉氏、松尾氏らとともに国見山城に籠って抵抗したようですが、織田信雄勢に攻められ落城したとされます。

土塁の上の土塁    空堀    
土塁の上から主郭内を見る
  
南の堀切状     南の空堀状
フェンス内の尾根と土塁?
堀切
堀切から落ちる堅堀
土塁上に土塁
土塁上に土塁
空堀(北側)
空堀(西側)
空堀

近くの城・関連の城:泉氏城  国見山城