伊賀 泉氏城



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@ いずみしじょう 
  別名  

A住所:伊賀市種生(たなお)
    旧:名賀郡青山町

B目標地点:種生学校・博要の丘
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:戦国期/泉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  8分

J撮影・訪問時期:2023年06月

  

道案内 

亀山市より名阪国道(国道25号線)で来ると、伊賀(上野)市の上野東インタで下り、国道422号線を名張方面に進みます。約12Km先の国道165号線との交差点の青山羽根の信号で直進し木津川を渡り、県道29号線に入ります。約5.8Km先で県道691号線に右折します。約1km先、博要地区市民センターのところで左折し坂を上り、市民センターの裏手に廻ります。旧の博要小学校の校舎があり、裏手に体育館があります。体育館の手前で建物と建物の間を抜けると山への階段があり、それを登り、さらに少し登ると城跡です。
 
訪城備忘録

城跡下に廃校になった博要小学校の校舎がそのまま残ってます。レトロな木造の建物です。この校舎の裏手に裏山へ登る階段があります。階段を登ったところは平坦地で、ここも城域なのかもしれません。その上が主郭です。分厚い土塁の平虎口です。主郭内は木や草が少なく見やすいです。主郭内は北側を除き土塁が巡るという感じで、東側の土塁は高さもあり、幅もあって小郭になっているので櫓台なのかもしれません。北側は急斜面で谷底まで見えます。東側土塁の外側は尾根を断ち切り堀切になってました。主郭に西側外には小郭があります。

旧:博要小学校校舎
歴史

戦国期、この地区は北畠氏の家臣の小岳(小竹)周防守がこの地の寺社奉行として関わったようです。泉氏はこの地区の土豪という事になるようです。天正伊賀の乱では小竹氏、松尾氏などと国見山城に籠り抵抗したようです。

堀切      主郭の高い土塁
旧小学校と城域方面
  
虎口から主郭内を見る
主郭内から虎口を見る
主郭内
櫓台土塁
土塁の上
堀切
主郭の北側から谷を見る
西側外から主郭土塁を見る
西側の小郭

近くの城・関連の城:小竹氏城 国見山城