伊賀/ | 滝川氏城 |
ファイルNo0988 |
天正伊賀の乱の際の織田方の兵站基地
@ たきがわしじょう |
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【道案内】 東名阪(国道25号線)の上野インタで下り、左折し国道368号線を進みます。14Km先の名張市桔梗ケ丘で国道165号線との交差点信号で国道165号線に左折します。信号から2.8Km先、小波田の信号で左折し県道692号線に入ります。300mほど川沿いを走りやや右にカーブしながら小波田集落に入ります。カーブから200m先の十字路で右折し250m先の集落の真ん中に滝川氏城と桜町中将城の方向を示す案内板の小さい看板があります。ここから100m進んだ先を左折し進むとグランドでここが城跡です。 【訪城備忘録】 天正伊賀の乱以降織田方の拠点です。城の縄張りは単郭四方土塁ですが、三重県最大の大きさで70m四方あります。現在主郭内は地区のグランドになっていますが、土塁。空堀はそのまま残っています。東側の空堀は肉眼でははっきりわかりますが、写真ではただの藪にしか見えないのが残念です。 【歴史】 滝川一益の娘婿である滝川三郎兵衛が下神戸(現伊賀市)に丸山城を築城しましたが、天正六年(1578年)に伊賀の土豪たちの反抗を受けて丸山城を退去しました。天正七年に伊賀へ攻めこみましたが敗退し、天正九年(1581年)に織田信長軍として伊賀に侵攻しました。滝川三郎兵衛は比自山砦を攻略し柏原城を攻撃しましたが長期化したため、短期間にこの城を築きました。天正伊賀の乱平定後には三郎兵衛は丸山城に入り、滝川氏城には家臣を置いて守らせたとされます。 |
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