伊勢   山口城



ファイルNo0022


              主郭内と周囲の土塁              

@ やまぐちじょう 
  別名 玉垣城

A住所:いなべ市藤原町山口玉垣内
    旧:員弁郡藤原町 

B目標地点:国道306号線山口の信号 
C形式:丘城  D比高:15m 
E現況:雑木林

F遺構等:郭・空堀・土塁・説明板 
G時代/人物:戦国期/藤田氏・梅山氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分


J撮影・訪問時期:2004年06月・2024年11月

  

道案内 

いなべ市(旧藤原町)の国道306号線(バイパス)の山口の信号を集落側に関が原側からくると左折し、100mほどの右手にゲートがあり、城(城名は玉垣城となっています)の説明板があります。、ゲートを進み、約300m先の右手に作業場のような建物群があり、手前左手へ少し登ったところが城跡です。
訪城備忘録

2024年、20年ぶりに寄ってみました。主郭周囲を土塁が巡り、西側、北側、東側の半分くらいまでの堀が残ります。南側は今は切岸のみですが、やはり堀はあったと思います。20年間で整備されたという雰囲気はないですね。 北側の東寄りに虎口があり、馬出というか「かざし土塁」になっています。虎口の所で主郭周囲を巡る堀に加え、縦に落ちている堀(城道?)が虎口横までの伸びていて、虎口前面に堀を挟んで土塁が横たわるという構造で「かざし土塁」という事になるんでしょうかね。白根城の方が分かりやすいかな。主郭内には五輪塔の残欠がサークル状に置かれてました。(20年前は散乱していた感じでしたが) 草が多くて遺構の見栄えはしないですねぇ。2004年の方がまだ草は少なかったかな・・・。

進入口のゲートと説明板
歴史

梅山宗兵衛及び梅山甚之丞の居城と伝えられ、天正年間(1573〜92年)、<天正二年(1574年)or天正八年(1580年)>に織田信長の侵攻で落城との記録らしいですが、詳しい事は不詳のようです。 または、明応二年(1493年)摂津池田氏の池田正澄が玉垣城を築き、藤田当麻之丞(東馬允)と称したともされます。善澄の時、永禄年間(1558〜70年)<永禄十一年(1568年)>に滝川一益の攻撃で落城したとされます。<現地説明板より加筆+単年記述<〇年(〇年)>はこの頃に織田勢が侵攻している年です。>

かざし土塁と虎口 <2004年>
堀と切岸<2004年>
  
南側の主郭切岸
西側堀
西側堀
北側堀
かざし土塁と虎口
かざし土塁と虎口
かざし土塁
北下に落ちる堀とかざし土塁
かざし土塁と堀<2004年>
虎口からかざし土塁
虎口
切岸と堀
北東側堀
主郭土塁
主郭土塁
主郭土塁<2004年>
主郭内
主郭内から土塁

近くの城・関連の城:上平野城 古田城