三重の城02  

                                                                               

大淀城  f4229  
@ おおよどじょう  A住所:多気郡明和町大淀乙 B目標地点:長光寺・大淀東区公民館
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:公園・宅地 F遺構等:碑
G時代/人物:戦国期?/北畠氏? H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:5分  J訪城時期:2025年09月
松阪市方面から来ると、国道23号線の大淀の信号で左折します。約800m先の大淀の信号を直進し、県道510号線に入ります。約150m先を右折、約50m先を左折(長光寺と竹大興、約150m先を右折し、約150m先を右折、約100m先を右折し、奥に進みと左手に小公園があります。(徒歩だと長光寺と神社のところに城跡標識があり、細道に途中で東に入ると小公園です。) 長光寺そばの標識には簡単な説明板が付いていて、小公園には城址碑があります。

築城時期、築城者は不明のようです。説明板には、永禄二年(1559年)、北畠具教が隠居しこの城に入ったものの、永禄十二年(1569年)に織田信長に攻められ落城したとあります。

城域内小公園にある城址碑     集落内長光寺横の案内標柱   
斎王尾野湊御禊場跡
佐田城  f4230  
@ さだじょう  A住所:多気郡明和町佐田 B目標地点:上御糸小 大庭神社
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:田畑・宅地 F遺構等:説明碑
G時代/人物:戦国期/佐田氏 H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分   J訪城時期:2025年09月
松阪市方面から来ると、国道23号線の行部2の信号で右折します。約400m先の信号を右折し、約800m先を左折します。約500m先、右手の上御糸小の前の道に左折します。約100m先の広場に説明碑が建っています。 

築城時期、築城者は不明のようです。説明碑には、文明九年(1477年)頃、北畠教具の三男の佐田佐兵衛少将具郷が居城とし、三代佐田忠英は天正四年(1576年)に三瀬館で北畠具教が殺害された際、殉死しました。四代佐田定勝は北畠氏再興を目指した北畠具親(北畠具親城)に従いますが、織田氏に破れ、具親とともに定勝も毛利氏を頼って落ち延びたため、佐田城は廃城になったとされます。

 
     説明碑      碑から大庭神社を遠望
山田奉行所 f4231  
@ やまだぶじょうしょ  A住所:伊勢市御園町小林 旧;度会郡御園村 B目標地点:山田奉行所記念館
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:田畑・宅地 F遺構等:復元建物・碑・説明板
G時代/人物:江戸期/徳川氏 H満足度: (番外)
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:5分   J訪城時期:2025年09月
松阪市方面から来ると、国道23号線の宮川大橋で宮川を渡ってすぐ、宮川インタで下りて、宮川インタの信号で右折し県道748号線に入ります。すぐ市道になり、宮川沿いを進みます。約1.5km先右手の御園中の所で道は大きく右カーブします。中学から約300m先の信号を直進します。信号から約300m先を斜め左に入ります。約500m先を左折し約150m先左手が山田奉行所記念館です。左折しないで直進して約200m先、二木神社そばの小さな十字路そばに碑と説明板があります。

江戸幕府は天領管理のため、慶長八年(1603年)に設置されました。幕末まで続き、42名の旗本が代々奉行を務めました。正徳二年(1712年)から正徳六年(1716年)の間には三十代の大岡忠相が奉行として在任していました。

集落内の碑と説明板       復元建物門    
 復元建物門      復元建物玄関
建物内
現地案内板より<往時の姿 加筆>