摂津 | 為楽山城 |
ファイルNo4100 |
@ いらくやまじょう |
道案内 | |||
妙見山ケーブルは廃止になったので、能勢電鉄妙見口駅から徒歩か車道を車・バスで行くかになります。山頂に大駐車場があります。 新名神高速道の箕面とどろみインタで下り、インタの入口を信号を左折し国道423号線を亀岡方面に進みます。約6km先、金石橋の信号で左折し府道4号線に入ります。約6.5km先がT字路でここを左折し府道605号線に入ります。約1.6km先が妙見山の山頂駐車場です。 (あるいは、国道423号線の金石橋の信号をさらに約5km先の妙見口の信号で左折し府道605号線に入ります。約1.5km先、野間峠のバス停付近で左折し府道4号線に入ります。約1kmのつづらの坂道を登ると直進が能勢妙見山への道(府道605号線)、左折が府道4号線の分かれ道です。直進して約1.6km先が妙見山の山頂駐車場です。) |
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訪城備忘録 | |||
山頂の三角点あたりが城跡との事ですが、平坦地はありますが、城跡と言う感覚はない感じです。ハイキングの方々がけっこう登ってきておいででしたし、車でもそこそこの方々がおいでになってました。 |
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天正八年(1580年)、能勢頼道は、明智光秀の家臣の河原宣勝に本拠地の丸山城を攻められ、塩川長満の山下城で誅殺されました。天正九年(1181年)、頼道の弟の頼次が丸山城を捨て、為楽山大空寺跡に為楽山城を築き、立て籠もったとされます。その後光秀に従いますが、天正十年(1582年)頼次は本能寺の変の後も明智光秀に味方したため、秀吉に攻められ落城し、頼次が備前に逃れ、能勢氏は一時期没落しました。関ケ原の戦いの際、頼次は東軍に付き、旧領に復しました。慶長八年(1603年)、頼次は法華宗の日乾上人を真如寺に招いて、妙見山(為楽山)に妙見大菩薩を祀った事から能勢妙見山の始まりとされ、慶長十年(1605年)に本堂が完成しています。能勢妙見山は正式には無漏山真如寺境外仏堂能勢妙見山 (境外仏=飛び地の境内になる仏像の意)となるそうです。 |
2023年12月に廃止になった妙見山ケーブルの麓の駅 |
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