摂津 山下城



ファイルNo3246


                            二重堀切の一つ

@ やましたじょう 
  別名:龍尾城・一庫城・塩川城
     獅子山城・多田城 
 
A住所:川西市山下
B目標地点:川西市郷土館・一庫ダム
               (ひとくらダム)

C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・二重堀切・土塁・竪堀
G時代/人物:南北朝期?/塩川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  郷土館から20分

J撮影・訪問時期:2017年05月

  
道案内 ←川西市郷土館駐車場  ←登り口  ←城跡

阪神高速11号線池田線の池田木部ランプから国道173号線に入ります。約11km先、甘露寺南の信号の次の信号で右折します。250m先を左折し、200m先を右手に進みます。すぐの左カーブの先がY字で左手すぐ左手が川西市郷土館の駐車場です。Y字右手は大昌寺です。 駐車場から戻るように川西市郷土館に行きます。郷土館前の石段を下りて下の道を右手に行きます。100m先、大通り(県道68号線)と合流手前に山に向かった小道があり、ここを登ります。中腹の神社からさらに上の愛宕神社の社に登りその背後を登って行きます。

訪城備忘録

登城口から中腹の神社までの道の両サイドも大きな段郭になっていて屋敷跡のようには感じますが、遺構かは?です。上の神社の背後を登ると高い段差(切岸)のところを越えると主要城域です。主郭手前の郭は植樹した公園になっている感じです。さらに高い切岸を登ると主郭です。ここも植樹されています。 東側に土塁が残ります。さらに北に行くとここの城の最大の見所の二重堀切です。深さも明瞭に残り、土橋もあります。西側は二つの堀切が合流して一本の竪堀になってました。この二重堀切みるだけでも価値がある^^V 尾根側の堀切には明瞭な土橋が残ります。その先、北側尾根ですが、城郭遺構はないようです。尾根をU字に行った向山(トンネルの真上)には山下城出郭と言われる一庫城があります。一庫城と山下城を合わせて二山一城というようです。 なお、下の神社の西の尾根上(主郭から西に延びる尾根)にも郭群があるようです。さらに現在の川西市郷土館のあるあたりは居館跡と言われるようです。

主郭
歴史

諸説あるようですが、塩川氏の城と言う事になります。南北朝期に塩川仲章が築城したとされます。天正七年(1579年)、塩川国満が永禄十一年(1568年)、織田信長の摂津攻めの際に信長に従い本領を安堵されたようです。天正十二年(1584年)、塩川国満と能勢頼次は領土で対立し、合戦に発展し、塩川氏は能勢氏の地黄城を攻撃しました。これに豊臣秀吉は激怒し池田輝政らを塩川氏討伐に向かわせ、国満はその時に切腹し、山下城は廃城になったようです。

主郭土塁             堀切の土橋
川西市郷土館の洋館(大正期)と城山    川西郷土館             
二重堀切の西側斜面
  
先端からの眺望             中腹の社
切岸                   中段の郭
中段の郭                主郭切岸
二重堀切(主郭下)
二重堀切(尾根側)
堀切の土橋
二重堀切(尾根側)を横から
二重堀切

近くの城・関連の城:一庫城(山下城出郭)